FIELD PLUS No.21
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“アッカーの地で 人生は生きるに値する” パレスチナ詩人マフムード・ダルウィーシュの詩を元にしている。イスラエル国内にも北部の港町アッカーのようなパレスチナ人コミュニティが存在するが、政府による土地接収などの問題も抱える。右隣には、“アッカーは売り物ではない”の文字。“カランディア = USA”エルサレムとパレスチナ西岸地区との間にある同地区最大のカランディア検問所にて。イスラエルへ多額の軍事支援を行うアメリカを批判している。“我々は傷ついた鷲として生き、高尚なライオンとして死ぬ”左派系の政党「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」のスローガンである。“水+塩”イスラエルの刑務所でハンガーストライキを行う囚人らは、水に塩を加えた食塩水を摂取する。囚人連帯のスローガンだ。“母へ...” 殉教した息子を持つ母親へ宛てた歌の一部が書かれた壁。31FIELDPLUS 2019 01 no.21人々は無名の活動家が新たに書いたスローガンを見て抵抗が続いていることを知った。 民衆蜂起の帰結として交わされた和平合意と、その後の和平交渉がとん挫した今、ある知人は「当時のクリエイティビティは使い果たしてしまった」と話す。だが現状に反応し、呼応する言葉は、今も壁に書き出される。  「殉教者の体は我らの尊厳」 これはエルサレムでよく見かけるスローガンだ。イスラエル兵との衝突で命を落としたパレスチナ人の遺体は、イスラエル警察により拘束され、集団懲罰として死体安置所で無期限に保管される。交渉の末、家族の元に戻されるのは数か月後、ときには数年後になる。葬儀がさらなるデモにつながらないよう、遺体は夜中、集まることを許された身内のみに引き渡され、その場で埋葬される。ある衝突では、兵士に撃たれたパレスチナ人青年が、搬送先の病院で亡くなった。当局に捕らわれる前に運び出そうと、友人たちがシーツにくるまれた遺体を担いで病院の塀を乗り越える映像がネット上で繰り返し流れた。死後も支配されたくない。血が乾ききる前に、青年は仲間の手で埋葬された。  「僕が死んだときには…」  ある村の入り口のガソリンスタンドの壁には、こんな言葉が書かれていた。「友よ…僕が死んだときには、墓にこう刻んでほしい。“̶彼は決して自供しなかった”」。書き手はおそらく村に住む若者だろう。村ではデモに参加した、兵士に投石したという理由で逮捕される若者が後を絶たない。取り調べでは、自供を求められるほかに、仲間や知人の身辺情報についても尋ねられる。尋問されても、内通者にならないかと誘われても、「口を割らない」ことは抵抗の一つであり、一種の倫理的な価値観を伴う。道徳ある生き方をした、そう周囲に記憶されたかったのかもしれない。  「母へ…」 またある家の壁には、殉教者となった息子の母親に宛てた歌の歌詞が赤い文字で書かれてあった。「祖国における敵の不正義 自由のために あなたの息子は殉教者となった」。若者たちの生前の写真とこの音楽とを組み合わせたミュージックビデオは、いくつものバージョンがSNS上で確認できる。いつか立ち寄ったベツレヘムの旧市街で、店の入り口から顔を覗かせた青年が、この歌を軽やかに口ずさんでいた。  ここで紹介したグラフィティは、2015年から2017年にかけて筆者が現地で目にしたものである。今はもう残っていないものもあるかもしれない。時代の空気感を瞬間的にとらえる壁の言葉は、鋭く、また儚い。

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