“殉教者の体は我らの尊厳” 当局に拘束された遺体の返還を求めるスローガン。“エルサレムはアラブだ”近年では、イスラエル政府の進める市のユダヤ化政策によって、パレスチナ住民に対する居住権のはく奪や家屋破壊の不安が高まる。イスラエルパレスチナ自治区西岸地区 パレスチナ自治区 ガザ地区 イスラエル+パレスチナ自治区東エルサレム30FIELDPLUS 2019 01 no.21Field+GRAFFITIパレスチナの壁の落書き南部真喜子 なんぶ まきこ/東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程書き手が交わるグラフィティ 2月のある日、エルサレム旧市街のアラブ人地区を歩いていると、パレスチナ地図の中央にイスラーム教の聖地の一つで、エルサレムを象徴する黄金屋根の「岩のドーム」が描かれた壁画を見つけた。絵には「エルサレムはアラブの花嫁」の文字がある。この地で暮らすパレスチナ人にとって文化的、精神的支柱として栄えたエルサレムの心象風景を表したものであったが、よく見るとこの「岩のドーム」の頂点には、イスラエル国旗が黒のマジックで書き足されていた。通りがかりか、近年この地区に入植を進めるイスラエル人が書いたものかもしれない。数か月後、同じ場所を通ると国旗は削られ消えていた。 このグラフィティの舞台は、パレスチナと呼ばれる地域である。1948年のイスラエル建国に伴い土地を追われたパレスチナ人たちは、自らの国を持たず、イスラエル占領下の住民としてパレスチナ社会を形成する。占領に対する抵抗運動や和平交渉も試みられてきたが、占領体制は終結せず、紛争が長期化するなかで状況はむしろ複雑化した。なかでもエルサレムという街には、市の西側にイスラエル人、東側にパレスチナ人が混住する。壁画の書き手が交わるように、両社会の衝突の震源にもなりやすい。 パレスチナのグラフィティ パレスチナの街中で目にするグラフィティの多くは、占領に反対するスローガンである。「闘え」「エルサレムはアラブだ」「不当な和解を拒否せよ」「自由とは日々の実践である」̶そんな言葉が建物や家の外壁、道沿いの壁、電柱に並ぶ。スプレーやペンキで手書きされたものもあれば、図柄をくり抜いた型紙の上からスプレーを吹きかけて模様を転写するステンシル・グラフィティも見かける。同じグラフィティを素早く拡散できるようにするためである。例えば、イスラエルの刑務所に収監中のパレスチナ人がハンガーストライキを始めると、それに連帯しようと囚人の似顔絵が道に溢れる。 書き手は誰なのか? 新しいグラフィティは人知れず現れる。スローガンのそばに政党のロゴマークが記されているものも、匿名のものも数多い。ある朝、筆者が滞在していた村のメインストリートの両側の壁がペンキで白塗りされ、その上に前日とは全く別のグラフィティが現れた。ある政党に属する村の若者たちが、党の指導者の命日を記念して夜中に書いたものらしい。一夜にして景観が変わったのが面白くて、以来、路上の落書きに目を向けるようになった。現状に呼応する そもそもパレスチナでグラフィティが盛んになったのは、第一次インティファーダ(1987~1993年)と呼ばれる、イスラエルの占領に反対する民衆蜂起の頃だったと言われている。情勢を断片的に伝える壁の言葉は村のメディアとなり、パレスチナの通りには、いくつものグラフィティ(壁への落書き)やアラビア語のスローガンが並ぶ。書いては消され、また書き足され、常に変化する言葉。書き手は何を訴えようとするのだろう。*写真はすべて筆者撮影。
元のページ ../index.html#32