29FIELDPLUS 2019 01 no.21が、博士論文を提出するまでに6年かかった。論文を書くための「一般的」な作法が私には邪魔だった。それ以前に、文字化できないまま手元に残った大量の「動画データ」を前に途方に暮れていた。動画を見せながら研究発表をしていくなかで、動画をそのまま提示したところで、人は私が見てほしいようには見てくれないことを思い知らされた。紆余曲折を経て、動画から画像を切り出し、事例と議論に沿ってそれを紙面上に表現する試みに移行した。 分析ツールもいくつか使ってみた。例えば、動画注釈ソフトELANを使い、身体の同期的動きを表現することをおこなった(画像2)。ただ、出来事を時系列に沿ってでしか提示できない点に不満が残った。また、画像3の上は、音響分析ソフトWaveSurferでケニアの音声話者たちが暗闇の室内を歩き回りながら歌ったりしゃべったりしていたときの「声と音」を表現したものだ。対照例として、NHKの「ビジネス英会話」における対話形式の発話を同じように表現したものを並べた(画像3の下)。WaveSurferは音響分析44用のソフトだが、私は「音声の群れ」を表現44するために用いた。 博士論文を提出して5年たったある日、西荻窪の新刊書店で偶然手にした本をきっかけに、森田真生氏の「『数学』はどのように生まれ、どのように変化していったのか」(http://embodymath.net/より)をテーマにした「数学する身体」実践ゼミ(第1期)に参加した。ようやく、博士論文の書籍化を、妄想ではなく具体的に構想するに至った。中学以降、数学する人たちとは少々縁があったものの、数学とは絶縁状態にあったから驚きだ。同ゼミで学んだことを手がかりに、手話言語を〈意味の世界〉に引っ張り込まず、身体の動きとして改めて捉え直すことにした。1+2は一目で3だとわかる。そう計算するとき、1つのリンゴと2つのミカンの存在を想定しなくても、数字それ自体を操作すればよい。私は目の前で動く手の動きを日本語の意味世界に引きずり込み翻訳しようとしたが、そうではなく、手の動きそれ自体として捉え直す必要がある。そもそも「言語」とは、「意味」とは、そして「意思疎通」とは何だったのか、という問いが新たに浮上した。 「個」という存在も、捉え直す必要が生じた。例えば、聾の子供たちが互いを全然見ずに盛り上がるおしゃべり(画像4)は、各個人の独立した発言として文字化し整頓した途端、起きていた出来事の特徴を失わせてしまう。賑やかなおしゃべりが展開している最中、個々の発言に逐一立ち止まって意味を確認する人などあまりいないだろう(休み時間のガヤガヤとか、宴席のガチャガチャを想起してほしい)。声も体の動きも、その場で盛り上がり消えてゆく。声の群れ、動く身体の群れ。個人と個人の間で出来事が展開するという前提から、私は抜け出すことになった。 そうしてできあがった拙著においては、「踊る」ではなく「躍4る」という語を用い、そこにいわゆる「ダンス」も「おしゃべり」も含めている。ケニアでは当初、さまざまな「躍り」を、ビデオカメラを通して眺めるばかりだったけれど、そのうち私も少しは躍れるようになっていたようだ。それに気づくまで、ケニアへの初めての渡航から、既に15年近く経っていた。「引き算」しつつ貪欲に活動中 日常生活でも調査・研究活動でも、できるかぎりたくさんの「無駄なこと」に巻き込まれつつ、いろんなことをポジティブに断念しつつ、そして自分の能力と時間のなさを痛感しつつ、「私にはできないけれど、きっと誰かが…」、そう思いながら、いまここでやれることをやる。未知の誰かに対する多少のきっかけをつくっておければ御の字だ。「誰か」は、誰であろうと構わない。 調査中に撮影した膨大な「動画データ」の、文字通り氷山の一角しか私は世に出せていない。人生はもう曲がり角を過ぎ、いっぽう雑務は山積みだ。でも仕方がない、残った課題の全てを自分で完結させようとするのではなく、潔く未来の誰かに託そうじゃあないか。 画像4:互いを見ない手話会話(カラー情報を削除してモノクロで表現。なお動画から切り出した画像なので走査線ノイズが出ている)。この中に聾の子供が1人いる。その子を特定するとき、自分は何に基づいて特定しようとするのか考えたい。
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