FIELD PLUS No.21
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28FIELDPLUS 2019 01 no.21きは、ビデオカメラを持ってくればいい」と言ってくれたから、一時帰国を経た翌2004年5月から、2台のビデオカメラを持ち込むことになった。彼らにそう言われなかったら、私の研究は全く違ったものになっていたはずだ。聾の子供たちがおどりまくるさまを 経験と共に探究する ケニアで聾の子供たちが楽しげにおどりまくる。私はすっかりその出来事の虜になってしまった。聾の子供たちが自在におどるなど、想像もしていなかったからだ。ビデオカメラを持ち込んでからは、撮っては彼らに見せることを繰り返すばかりだった。撮っている最中は、何が起きているのか一切思考できない。私はそのときの自自覚だった。いつの間にか体調を崩しており、2005年4月に帰国してからだが完全に壊れていたことが発覚した。 そうして壊れたからこその発見もあった。処方された薬は副作用に「吃音になる可能性」があったが、私の場合なぜか、吃音は主に文字入力に現れた。それまでとは明らかに異なる質の打ち間違いをPC上で頻繁に起こしたのである。キーボードを叩くときに手指が吃もるのだ。「聴覚/視覚/構音運動/巧緻運動は切り離しがたく連動しているらしい」ということを経験的444に知ったのはこのときだった。五感をそれぞれ独立国家とするなら、せいぜい「各国が国際交流をしている」程度にしか思っていなかったけれど、「五感」の間には「国境」など存在しないかもしれず、かつ身体運動と共にある。それなら、感覚の一つ一つを絶対視する必要はない。 「身体の動き」をいかにつかまえ提示するか 服薬しながら、2005年10月から翌1月、院生時代最後の調査を何とか乗り切った分の振る舞いを言語化することなどできなかった。生活しかできていなかったのが、今度は、文字通り機械的な記録しかできなくなっていた。 強い日差しが照りつける標高2000メートルの地で、日中は人々に導かれるがまま息つく間もなく活動し、夜な夜なひどいときは3~4時間睡眠でその日に撮った動画の保存作業を続ける。当時は、すぐに容量いっぱいになってしまう高価なSDカードとかさばるmini DVテープが記録媒体であり、それらを使い回すには撮った端からDVD-Rに保存していくしかなかった。停電にも注意せねばならない。昼も夜も休まず活動する日が続いた。そのうち日が高くなっても全く起き上がれないことが頻繁に生じたが、身に起こりつつあった異変に無画像2:ELANの画面。10人がおどっているときの、膝の屈曲から伸展、伸展から屈曲が始まるタイミングについて、動画を1/30秒ずつコマ送りしながら観察し印づけていくと、上の静止画像の時点=下の縦の赤線の時点で10人中7人の膝の屈曲から伸展に移るタイミングが一致した。画像3:上はケニアで複数人が歌ったりしゃべったりしていたときの音声、下はNHK「ビジネス英会話」でAさんとBさんが、沈黙を挟んで交互に発話する音声(吉田優貴『いつも躍っている子供たち──聾・身体・ケニア』(風響社、2018年)より一部改変)。ケニアケ ニ アヴィクトリア湖トゥルカナ湖ガリッサニエリナクルキスムエルドレットナイロビモンバサマルサビット●フィールドワークを 行った地域

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