FIELD PLUS No.21
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24FIELDPLUS 2019 01 no.21音と鳥の鳴き声だけという、静かな空間である。大都市の中心部に緑あふれる聖域のような空間があることにも驚いたが、何よりも衝撃的だったのは、そこで花々に水をやり、デッキチェアに寝そべって日光浴を楽しむ上半身裸のおじさんの姿である。朝も晩も休日も働くことを是とする日本から来た人間にとって、こんな日常の過ごし方があるのかとカルチャーショックを受けたのである。同時に、どんな生き方が世の中にはあるのだろうか、そしてよりよく生きるとはどういうことなのだろうかと、「農」という活動を通じて考えてみたいと思ったのが一連の研究活動の始まりとなった。都市内農園の歴史 クラインガルテンの歴史は19世紀末に遡る。産業革命期に都市の過密化や大気汚染などによる住環境の悪化から、人々の健康のためドイツのシュレーバー博士が子どもの遊び場つき農園を提唱し、これがクラインガルテンの誕生に繋がった。20世紀の2度の大戦による食料難を背景に、その数は増えていった。隣国のオーストリアウィーンでの衝撃 初めて訪れた歴史深く華やかなオーストリア・ウィーンにて、私の印象に最も残ったのは上半身裸で寛ぐおじさんであった。当時大学4年であった私は、クラインガルテンという都市内農園を研究題材として指導教員に提案され、実際にその現場を訪れることになった。市の中心部から地下鉄でわずか10分程度、住宅地内に木々で囲まれた緑地が広がっていた。約300m2の長方形の区画が数百も並び、芝生が大部分を占める各区画には、かわいらしい小屋(家のような立派なものも)と、色とりどりの花、野菜、果樹が見られた。さらにプールやトランポリンなどが設えられている区画もあった。聞こえるのはただ木々のそよぐに広がったのも1910年頃であり、それが今日も残っている。英国でも同時期に類似の都市内農園であるアロットメントガーデンが設立され、広がっていった。なお、1930年代には日本の行政関係者や実務者がドイツを訪れ、クラインガルテンの概念を持ち帰り、分区園や市民農園と呼ばれる貸農園を大阪や東京に設立した。ただし各区画の面積は数十m2と、ドイツやオーストリアのクラインガルテンよりも遥かに小さく、小屋もない、野菜栽培専用区画という様相であった。ゆったり寛ぐより、懸命に野菜作りをしなければという、日本の国民性がうかがえる。 一方、アメリカのニューヨークでは、1970年代にコミュニティガーデンと呼ばれる、地域の人々が空き地を使って花や野菜を育てる空間が生まれた。このガーデンは、区画毎に個々人が楽しむクラインガルテンやアロットメントガーデンとは異なり、みなで一緒に楽しむ作業に重点が置かれていることに特徴がある。こうした空間が地域にできていくことにより、地域の治安改善、そして社会的なマイノリティである移民や貧困層の居場所づくりや食料確保に繋がった。この比較的新しい都市内農園の形態であるコミュニティガーデンは、特に2000年代以降、様々な国でよく見られるようになっており、一種の世界的ブームとなっている。この理由については、格差拡大や、食料流通のグローバル化・生活のデジタル化に対する反発など、時代的な要因があると予想されるが、コミュニティガーデンの様々な役割を調べていくことで、俯瞰的・長期的な目で考察していきたいと思っている。多様な役割を担うコミュニティガーデン これまで様々な国で、コミュニティガーデンの社会的意義を調査してきた。まず日本では、東京都日野市のせせらぎ農園におオーストリア・ウィ ーン市のクラインガルテン。市内各地で見られる。300m2前後の区画には芝生が広がり、小屋や野菜畑、テーブルや椅子、プールなど利用者の好きなものが置かれて寛げるスペースになっている。場所によっては数百の区画が連なっているところもあり、コミュニティをつくりつつ各々が好きなようにアフターファイブや週末を楽しんでいる。*写真はすべて筆者撮影。フロンティア都市で展開される「農」の空間に関して、その社会的意義を明らかにすべく調査を行っている。一方で、「農」を取り入れた生活を送る人々を見ながら、よりよい生き方・社会の姿について常に考え続けている。フロンティア世界で広がる都市内農園その社会的意義と私たちの生き方への示唆 新保奈穂美 しんぽ なおみ / 筑波大学 

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