FIELD PLUS No.21
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何故、船戸与一か? 今はKindleもiPadもあり、「本」が荷物となって困ることはない。しかし私がバックパッカー、若手研究者として渡航していた時代、文庫本以外の選択肢はなく、持参する数冊(時に一冊)を選ぶのは真剣な悩み事であった。私の荷物にはほぼ毎回、船戸与一の一冊があった。 船戸与一。たぶん好き嫌いの分かれるタイプの小説家だ。作品中の暴力と血ちなまぐ腥さに辟易して数ページでやめてしまう人もいるだろうし、私のように長編は全て、単行本未収録作品(※2018.9現在。「稲妻の秋」『ジャーロ』No.53、2015.3など)まで読んだというマニアもいるだろう。そんな彼の作品、主に「アジア・アフリカ」が舞台であり、主役・重要人物が「日本人」。ならば「本誌に推す」のは、私にとって当然だ。 作品の舞台と、私の研究地域はほとんど重ならない。しいて共通点を挙げれば、少数民族を扱うことぐらいか。そう、彼の作品は常に民族問題を孕み、少数民族の苦悩と絶望が描かれた。そんな世界を、体制を変えようとする人物が現れ、志半ばで散っていく。そんなカタルシスの無いラストばかり書いたのが船戸である。 が、現代世界は革命家の予想しない形で変わった。東西冷戦の終結は、冒険小説作家から「敵」を奪い、その作品の時代を「現代」から「過去」へと変えた。船戸作品も例外ではない。船戸与一も、『砂のクロニクル』以降、振り上げたナイフをどこにおろしてよいかわからないような、模索の時期があったように感じる(今読み返すと『砂の…』でさえ、「当時の」という注釈が必要な物語となってしまった)。『山猫の夏』とその時代 『山猫の夏』も「現代のブラジルが舞台」というには時が経ってしまった。ただ、本作は、その後の船戸の長編に比べるとテンポよく話が進むし、出てくる勢力も少ないので、人間関係もわかりやすい。「初めての船戸」として推したい一冊である。私には、初めての船戸作品でこそないものの、早い時期に読んだ一作であり、舞台が馴染みのない国であったせいもあるのか、強く記憶に残っている。この稿でも「真剣に悩んだ末」本書を選ぶ。舞台はブラジル。対立する旧家の抗争劇であり、荒くれ男たちによる追跡劇であり、青年の成長譚である。それが単なる冒険小説で終わらないのは、背景に、少数民族の革命の夢が潜んでいるためだろう。 「『山猫の夏』ではインディオ革命の芽を予感させ、『神話の果て』で反革命側からインディオ革命を見て、『伝説なき地』では、革命が進行し具体化してくるにつれ、民衆は反革命的になるということを描きたかった、と船戸与一は“南米三部作”のモチーフを説明している」(恵谷治1991「現代史と同伴する作家・船戸与一」『伝説なき地』下(講談社文庫版解説)より)。俗に言う「南米三部作」(『山猫の夏』『神話の果て』『伝説なき地』)である。地図も見ていただき、関心のある地域を舞台とする作品だけでも読んでもらえると嬉しい。 冷戦終結後の「現代」は、船戸の持ち味が活かせる舞台とは言えなくなったが、彼は筆を擱おかなかった。晩年の船戸は主戦場を「日本近現代史」に変え、大作『満州国演義』(全9巻、新潮社)を完結させるとともに病没した。 好きな作家の一人とはいうものの、いわゆる「日本文学史における位置」とか「世界の冒険小説と対照して」といった評価は高いとは思わない。船戸自身もそんなものは欲しなかっただろう。作品以上に、生き様までがハードボイルド。『山猫の夏』とその作者に、カイピリンガで乾杯!          船戸与一『山猫の夏』荒川慎太郎 あらかわ しんたろう / AA研手元に本が無いと落ち着かない。書物が無くても周囲に新情報が満ちているはずの、旅先に居てもだ。時に自分が海外に居るのに、未知のフィールドに居るのに、かえって冒険小説が手放せない。*2018年9月現在『山猫の夏』は、小学館文庫とそのKindle版、講談社文庫(新装版)のKindle版が入手可能。東京・中野BAR NASHに特注し作ってもらった、カイピリンガ「山猫」スペシャル(砂糖抜き・レモンたっぷり)。ガツンと漢おとこの味だ!『伝説なき地』 コロンビア・ベネズエラ『神話の果て』ペルー『山猫の夏』ブラジル23FIELDPLUS 2019 01 no.21

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