FIELD PLUS No.21
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17FIELDPLUS 2019 01 no.21その辺りに到着したのだと思う。大きな客間の床に敷かれた絨毯に座り、クッションにもたれてお茶を飲みながら食事を待つ。主人やその兄弟が入れ替わり立ち替わり現れては、世間話をしていく。私は簡単な自己紹介や日本の話を少しすると、もう話すことがなくなった。腹がグーグー鳴りながら、ひたすら待つ。友人も話が尽きてしまい、小さなグラスに入った紅茶を飲むばかりとなる。主人たちが奥に消えると、私たちは無言で顔を見合わせ、ため息をついた。時計を見るともう午後4時を回っている。昼食に呼ばれたのではなかったのか。不安が募る。 意識が朦朧とせんばかりの頃、ようやくサラダが運ばれてきた。村で収穫されたトマトやパセリ、キュウリやタマネギなどにオリーブ油、レモン、塩のソースをあわせた簡素なものだが、実に旨い。やがて両手を広げたサイズの大皿が運ばれてくる。干しブドウや松の実入りの、サフランで黄色くなった牛脂炊き込みご飯が山盛りとなり、その中央に羊の頭が天を仰いで屹立する。皮をはいで香辛料などと一緒に塩茹でにしたものだ。周囲にやはり塩茹での肉がわんさと並ぶ。「マンサフ」という、アラビア半島からシリア東部の乾燥地帯にまで拡がる遊牧民たちの最高のごちそうだ。無念の表情が露わな羊の頭は、最初私にすすめられた。脳みそや目玉、頬の肉や舌は、第一に遠くからの客人のものなのだ。決して苦手ではないのだが、遠慮して友人に回す。私は骨付き肉にむしゃぶりつき、食べに食べた。 果物が出てコーヒーが回る頃、もう陽は暮れようとしていた。明日はもう何も食べられないくらいに満腹だ。礼を言って帰る時、主人が友人の耳元に何事か囁いた。食事が遅くなったのは、客人の到着を待って準備したためで、これが自分たちの歓待の仕方なので理解してくれ、だったとのこと。大事な羊をっておいて客が来なかったら話にならない。ごちそうはお客の顔を見てから、やおら真心こめて取りかかるものなのだ。豪奢な食事の伝統 もっとも、これは田舎の伝統的なごちそうの仕方で、都市部では私たちと同じように日時を決めてお宅にお邪魔したり、レストランで落ち合ったりする。家庭でもレストランでも、多数の大皿料理がテーブルをところ狭しと占拠し、そこから取り分けて食べる形は同じだ。ホストの宗教宗派によるが、多くの場合、アラクというブドウから作った蒸留酒(水で割ると白濁する)やワインがお供することとなる。どちらかというと昼食の方がメインで、レバノン料理をレストランでフルに食べるとなると、午後1時頃から始まり、終わるのは4時頃だ。その間、食べ、飲み、話し、ジョークを飛ばし合って笑うのだが、3時間くらいはあっという間に過ぎる。夕食は、家庭の招きでは午後7、8時ごろから始まるのが普通だが、多数が集うパーティとなると、招待状には8時と書いてあっても10時まで始まらず、それまでビールやウイスキーとつまみだけで時間を潰すこととなる。そして料理が運ばれてきて延々と日付が変わるまで宴が続くのである。ローマ帝国の貴族もかくありきか、古代地中海世界の饗宴の伝統を引く食文化が連綿と続いているのだ。ダマスクスで鯛の刺身 こうしていると「ごちそう負債」が累積してくる。しかも多重債務だ。毎回お土産を持参したり、相手が来日した折にごちそうしたりで返済を試みるが追いつかない。1990年代初めにダマスクスに住んでいた頃、冬の魚市場で地中海産の大型の鯛のピカピカのやつを1尾買い、刺身と潮汁にして、世話になっている友人にごちそうしたことがある。その友人はロンドンにも家があって行き来していたが、まだスシ・ブームが世界的に広がる前のことで、ナマの魚を食べるのは初めてであった。しばらく逡巡していたが、意を決して刺身一切れを口にしたところ、「俺が知るこれまでの魚料理は何だったんだ!」と言って、たくさん食べてくれた。アレッポのトリュフ料理 出先にて一人で食事する場合には、「自分で自分にごちそうする」ことにしている。忘れられない料理の一つは、アレッポ旧市街のキリスト教徒が多く居住する地区の、旧宅の中庭を使ったレストランでの昼食である。羊の塊肉の中に切れ込みを入れて空洞をつくり米と挽肉を詰め、春にユーフラテス川流域で採れるトリュフと一緒に煮込んだもので、薄い味付けの香り豊かなソースといい、申し分なかった。シリア・レバノン地域は各地で多様な味の特徴を有し、さらに家族ごとの多様性も加わるので、実に奥が深いのだが、やはりアレッポが一番だと思う。豊饒たる農村・牧畜地帯に囲まれ、食材が豊かであるうえに、アナトリア南部のキリキア・アルメニア料理の伝統が入り、適度な辛味も効いている。特に羊の挽肉を主材料とした串焼き「カバーブ」は、中東全体の中でダントツの位置を占めている。食はアレッポにあり。 シリア内戦で、マンサフを食べた村は一時「イスラム国」の支配下に入ったし、アレッポはこのレストラン一帯を含めて、旧市街の大半が廃墟と化してしまった。しかしあの味が、あの村、あの町でいつの日か復活することを願わずにはいられない。 主菜の鶏肉載せご飯と牛肉と人参の煮物(2008年1月)。アレッポの羊肉トリュフ煮込み。トリュフを少し食べてしまった(2009年3月)。アレッポの旧宅中庭レストラン(2009年3月)。肉の中の詰め物。

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