16FIELDPLUS 2019 01 no.21 研究者がフィールドに出かけると、「ごちそうする」よりも「される」方が多くなるのは、どうしても避けられない(と、笑みを禁じ得ない)。遠い国からやってきた客人としてもてなされるためだ。これまで頻繁に訪れてきたシリア・レバノンの地域は、食事という行為が人々の社交の大きな部分を占めており、そこに出かけて多くの人々と情報交換するとなると、ごちそう漬けになる。しかも料理が(ついでに酒も)掛け値なく美味しいので、胃腸(と肝臓)がフル稼働する。わずか1週間の滞在でも人に会うことが続くと、帰国して体重計に乗ると2キロ増えているのだ。ごちそうされる ごちそうは、「する/される」ものである。『広辞苑』は、「馳走」の意味として、「かけはしること」「あれこれ走りまわって世話をすること」の延長線上に「ふるまい、もてなし」「立派な料理」を置いている。高位の人が立ち寄ると知らされたり、知人が急に訪れたりして、「さて何を食べさせようか」とあたふた準備する様子が目に浮かぶ。大事なのは客が喜ぶことだ。だからごちそうは必ずしも豪勢なフルコースである必要はない。炭火でボウボウ焼かれた、脂滴る一尾の目黒のサンマだって、旨いのなんの、お殿様には立派なごちそうなのだ。シリア北部の村で羊料理 1990年代初め、まだ残暑のきびしい9月頃だったか――シリアのアレッポの友人を訪ねると、東に数十キロ離れた村に行こうと誘われた。彼がビジネスで大型トラクターを売った相手が昼食に呼んでくれたという。私はその村人とは何の関係もないのだが、御相伴にあずかることにした。中東ではこの種の飛び入りは失礼に当たらず、むしろ予期せざる珍客として歓迎される。 見渡す限り畑や放牧地が続く平坦な農村地帯。訪ねた先は、広々とした庭を壁が囲む農家だった。シリアのお昼は通常午後1、2時ごろに始まるので、ごちそうごちそうされて、ごちそうし…シリア・レバノンから「ごちそう」は、もともとは食事をつうじた社会的行為をあらわすことばだ。レバノン・シリアとその周辺地域は、地中海と西アジア内陸部の食文化が出会い、とけあう場所で、おいしい料理をごちそうし合う文化が発展してきた。黒木英充 くろき ひでみつ / AA研レバノンの友人宅の食卓に並ぶ前菜。左の大皿には羊の生肉料理クッベ・ナーイエ(2013年3月)。主菜のマハシー(詰め物)のマクルーべ(ひっくり返し)。ズッキーニの中をくりぬいて米と羊の挽肉を詰め、肉やジャガイモと一緒に煮込み、鍋からひっくり返したもの。ニンニクもきいていて出来立てのホヤホヤをいただくとほっぺたが落ちる (2013年3月)。レバノンの別の友人宅にて。中央のグラスには白濁したアラク。左上はヒンドゥベというタンポポに近い野菜の炒め(2008年1月)。カバーブ・ハラビー(アレッポのカバーブ)。上に載ったパンは保温材の役割を果たす(2009年3月)。シリアレバノンアレッポダマスクスベイルート地中海*写真はすべて筆者撮影。
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