FIELD PLUS No.21
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15FIELDPLUS 2019 01 no.21ルンダンが食卓に並べられた。夕飯前の軽食である。ルマンは、バナナの皮で巻いたモチ米を、塩、ココナツミルクとともに竹筒に詰め、竹ごと4~5時間、弱火にかけて作られる。マレー海洋世界の「伝統的」なハレの食べものだ。断食月の毎日の断食明けやハリラヤには欠かせない。噛むたびに、ほのかなココナツの風味とほどよい塩味がモチ米の旨味と香りをより強く感じさせる。ハナちゃんは、これが大好物で、目を離すと竹一本分、全て食べてしまうとのこと。その気持ちはとてもよく分かる。ひとつ食べると、すぐもうひとつと手が伸びてしまうのだ。ルマンだけでも美味しいのに、お母さんのルンダンもあるなんて、なんて幸せなのだろう。次から次へとハナちゃんの口に消えてゆくルマンに、少しだけ焦りながら、わたしももうひとつルマンをいただいた。 その後、夕飯を終えてしばらくして訪問者があった。お母さんの学校時代の友人の華人女性だ。祝日にはこうして、民族や宗教に関係なく、家を訪ねたり、贈り物をしたりするのだ。夜風の当たる玄関先のスペースで、夕刻の礼拝後に訪ねた親族の家の庭で採ったマンゴスチンを食べながら、しばし歓談は続いた。ハリラヤと親族訪問 夜明け前、まだ外が薄暗い中、モスクから礼拝の呼びかけが聞こえる。車やバイクが止まる音に続いて、人びとのさざめきが続く。ほどなくして、一切の静寂が訪れた。その静けさに、早起きが大好きだというヌールさんのことばを思い出した。静かで、新鮮な空気。朝の礼拝は、いちばん神を想うことができる。今日はハリラヤだ。 朝8時に再び礼拝の呼びかけが行われ、みな正装をして集団礼拝に出かけた。帰った人から順次、朝食をとる。まもなくヌールさんの一番下の弟さんが料理を始めた。エビの炒め物、焼きそばと手際よく炒めてゆく。食卓では、お母さんがコイワシの煮干しの下処理をする。煮干しの頭部を外し、背から裂いて骨と内臓を取り除く。作業の手伝いをさせてもらいながら、家族や日本の暮らしについて話をした。 10時前になって三たび人びとがモスクに集まってくる。ヌールさんの父親が、神に捧げる牛一頭を分かち合う7人の名前をマイクで呼び、犠牲が始まった。 一方、家では、ヌールさんがナシミニャッをつくる。ナシ(=米)ミニャッ(油)は、油脂とスパイスを加えて炊くハレの日のごはんである。炊飯器の内釡をそのままガス台の五徳に置き、ギーとマーガリンを熱して、溶けたらパンダンリーフ、八角、カルダモン、シナモンを加えてさらに炒める。米と水、黄色の着色料、無糖練乳を加えてから、内釡を炊飯器に入れ、炊飯スイッチを入れた。 ヌールさん一家とヌールさんのお母さんとともに、お母さんの一番上のお姉さんの家を訪ねた。普段はひとり暮らしだが、こどもたち、つまりヌールさんのイトコたちがハリラヤにあわせて帰ってきている。食卓の上には、インド菓子、クッキー、タルト、揚げバナナなどの菓子類が並ぶ。ぷりぷりの二種の魚の練り物、青菜、もやし、揚げタマネギ、西洋パセリ、スパイスのきいた肉田麩を盛りつけて、カレー麺をみなでいただいた。コリアンダーではなく西洋パセリなのがおもしろい。食後、テレビを見ながら、ひとときを過ごす。帰り際、ヌールさんのお母さんがハナちゃんを抱き上げた。「よっこいしょ」のタイミングで、「アッラーフアクバル(神は偉大なり)」とつぶやいた。日常生活の中の所作に、神を想うことばが溶け込んでいる。クアラルンプルへ 夜の飛行機で日本へ発つわたしを送るため、ヌールさんたちもこの日にクアラルンプルに向かった。明日は仕事だから、とヌールさんたちは言うが心苦しい。こどもたちが出発のお祈りをして車は走り出す。道教の廟、モスク、華人墓地、マレー系の墓地、FELDAの敷地を通り過ぎる。やがて遠くに再びゲンティンハイランドが見えてきた。山の上のビル群は少し不思議な風景だ。 クアラルンプルに入ってから、ヌールさんの妹さんの家に立ち寄った。仕事のため帰郷しなかった妹さんに、ナシミニャッその他の料理を届けたのだった。帰宅後、持ち帰った料理を盛りつけ、食事をした。別々に暮らすお母さん、妹さん、ヌールさん、それぞれの家で家族と分かち合う。これもまたひとつのごちそう、分かち合いの時であった。 実家から自宅に持ち帰った料理で夕飯。奥の急須の横のタッパーの中身は、モチ米の発酵食であるタパイ。これもハレの日の食べもの。竹に入った状態のルマン。お母さんの実家にて、庭の果樹の手入れをする。使用している鉈は行きがけに市場で購入したもの。ハナちゃんはバナナの葉を日よけに作業を見守る。犠牲祭の牛。流れ出る血が止まってから皮を剥ぐ。

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