14FIELDPLUS 2019 01 no.21レーシアの歴史をしのばせる風景が続いた。ハリラヤ前日 敷物代わりに新聞を敷いて、朝の食卓に茹でタマゴ、ルンダン、キュウリ、サンバルの皿が並ぶ。ルンダンは肉をココナツミルクとスパイスとともに、じっくりと煮詰めた料理である。サンバルは、トウガラシと香味野菜をすりつぶしてペースト状にしたごはんの友だ。この日は、コイワシの煮干しとタマネギを加えたものだった。各自、平皿に盛った白ごはんに、それらを少しずつとっていただく。 「その日までいるなら、ハリラヤだし、一緒に実家に行こう!」ヌールさんのお誘いで、週末、ハリラヤ・ハジ(犠牲祭)の里帰りに同行させてもらうことになった。ヌールさん一家は、技術工の夫、息子ひとり、娘ひとりの4人家族でクアラルンプルに暮らす。お兄ちゃんのアズランくんはヌールさんに、妹のハナちゃんはお父さんにそっくりだ。犠牲祭は、イスラーム暦の巡礼月の10日、メッカ巡礼に参加しない世界中のムスリムが祝う祭日だ。マレーシアのカレンダーには、国、州、イスラーム、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教の祝祭日がある。その一部は全国的な国民の祝日であり、ハリラヤ・プアサ(断食明けの祭日)とともにハリラヤ・ハジ(以下、ハリラヤと略す)もそのひとつである。ラウブへ クアラルンプルからヌールさんの故郷のパハン州ラウブまでは、通常、車で2時間弱ほどという。だが、この日は4時間のドライブとなった。ハリラヤを控え、帰郷ラッシュでどこも渋滞している。道中、マレーシア国際イスラーム大学やオランアスリ(先住民族の総称)の居住区、高原リゾートのゲンティンハイランド、アブラヤシ園が拡がるFELDA(連邦土地開発庁)の入植開発地など、マ 市場で買い物を済ませてから、ヌールさんのお母さんの生家に車で向かった。カフィールライム、ランブータン、ジャックフルーツ、ドリアン、バナナなどの果樹に囲まれた高床式の家は、現在、誰も住んでいない。定期的に家族の誰かが空気を入れ換え、庭の手入れや果実の収穫をする。ひとしきり作業を終えて家に戻り、昼飯前の一休みとなった。射すような日差しは建物に遮られ、窓から入る微風が心地よい。うつらうつらとしていると、隣接するモスクから礼拝の呼びかけが始まった。 ザーッと雨が降った。雨音に混じって日没前の礼拝の呼びかけが聞こえる。ヌールさんのお母さんが、台所でルンダンを作り始めた。わたしは、ヌールさんのお母さんが作るルンダンほど旨い牛肉料理をマレーシアで食べたことがない。定年退職してから、ゆっくり料理をする時間をもてるようになったという。よく使うタマネギ、赤ワケギ、ショウガ、コウリョウキョウ、レモングラスは、それぞれ石の杵と臼で大量にすりつぶしておいて、一週間分をタッパーに入れ、冷蔵庫に保存している。これらの香味野菜は、使う度に丁寧に油で炒め、香りを出す。料理のベースとして欠かせないものである。 明日はいよいよハリラヤ。明日は朝の8時半からモスクで集団礼拝が行われる。「義務じゃないけど。行きたいから行くのよ」、正装するから縫い物をしないと、と忙しいヌールさんだった。 食べやすいサイズに切ったルマンとお母さんのこの世界は神の恵み分かち合い、ともに生きるマレー系ムスリム家族と過ごした時空間と豊かな食卓を描くお母さん手製の牛肉のルンダンとともにルマンを食す。ハリラヤ前日の昼食。昼の礼拝が終わってから、ヌールさん一家と一番下の弟、イトコと一緒に昼飯をいただいた。白ごはんをメインに、鶏肉のココナツ煮込み、揚げ魚、野菜炒めが並ぶ。竹で編まれたトドゥン・サジを被せて食卓に置いておいた朝食のキュウリ、サンバル、ルンダンも再び登場、副菜の一品に。ごちそう砂井紫里 さい ゆかり / 早稲田大学高等研究所、AA研共同研究員ヌールさんの里帰り分かち合う家族の食卓マレーシアラウブパハン州クアラルンプル*写真はすべて筆者撮影。
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