FIELD PLUS No.21
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11FIELDPLUS 2019 01 no.21 私の調査の中心地は、ギルギット・バルティスタン州フンザ谷カリマバードである。海抜は2,400m弱。谷の斜面に住居が並ぶその町の天辺には、バルティット・フォートという城砦があり、その後方にはウルタルⅡ峰(7,388m)という裏山が聳える。山好きの方なら、登山家の長谷川恒男氏が亡くなった山としてご存知ではないだろうか。なお、ウルタル(úl-tar)とは、ブルシャスキー語で「内の-高メドウ地の草地」という意味である。ブルシャスキー語の特徴 この言語が位置している場所は、地理学的にも言語学的にも「辺境」であると言えよう。地理的には、インドを中心とした南アジア、かつてトルキスタンとも呼ばれた中央アジア、中国・チベットといった東アジア、ペルシア世界的な西アジアの接点と考えられる。各方面に広がる一連の平地から見て、移動を阻む山地というのは隅っこだ。ヒマラヤ、カラコラム、ヒンドゥークシという、標高で世界トップ3の山脈が合流しているのがパキスタン北部であり、そんな「世界の屋根」は大陸内部の僻へき陬すうとならざるを得ない。人の移動が地理に大きく左右される以上、民族の分布や言語の広がりもそれに倣う部分が大きく、上述のように多様な語族・語派の末端が犇ひしめき合っている。 そういった立地では自然と、言語自体も無特徴になって行くのかもしれない。言語接触によって角が取れて行ったのかもしれない。肩書き負けのブルシャスキー語は、どこかで聞いたような特徴しか見せてはく言語の肩書き負け パキスタンの北部、カラコラム山脈の中で10万人ほどの話者によって話されている、ブルシャスキー語という言語がある。この言語は系統的孤立語で、世界に同じ系統と見られる言語が他にない。直近の周囲をインド・ヨーロッパ語族インド語派やイラン語派の言語に、そのもう一回り外側まで目を向ければ、同ヌーリスタン語派やシナ・チベット語族チベット語派やチュルク語族の言語などに囲まれている。 こういった情報が先行すると、言語学者以外には、「何か特別面白い特徴がある言語なのではないか」と推察するに足ると見られてしまうことがあるようだ。たしかに、大きな語族に属する言語に何らかの現象があれば、その語族内のいくつもの言語がその現象を共有する可能性が高く、記述される機会も増えるため、より一般的な現象だと思われやすい気もする。そういう意味で考えれば、系統的孤立語が空前絶後に独特な特徴を持っている可能性は非孤立語よりは高いのかもしれない。けれども残念ながら、ブルシャスキー語はこれまで調べてきた限りではそれほど奇抜な言語ではなさそうだ。れない。 例えば、①数詞に20進法を用いる、②数詞「1」に由来する不定単数接尾辞を持つなどといった特徴がある。これらは、パキスタン北西部からインド北西部に跨って共通して見られ、北パキスタン的な特徴だと言える。③能格言語(自動詞主語と他動詞目的語が同じ形、他動詞主語が別の形を取る言語)で、④SOV語順を好み、⑤反響形成(語の一部を音変化させつつ重複をする生産的な造語法 ; chil「水」⇒chil mil「水か何か」など)があり、⑥膠こう着ちゃく性が強く、⑦接続分詞(日本語の「テ形」のように継起する別動作の前項を述べる動詞形;継起副動詞などとも)を持ち、⑧文脈的に容認されれば語の省略が自在でもある。けれどもこれらは、南アジアという広域で共通して見られる特徴だ。更には、⑨固有語の語頭に/r/が来ない、⑩所有者を名詞上の人称接辞で示す、⑪名詞修飾節の主語が属格で表現できる(ガノ交替)などといった特徴は、北パキスタンでも南アジアでも珍しい気がするが、④~⑧と合わせて、いわゆるアルタイ型言語が共有する特徴として名高いものではないか。ひいては、日本語と共通した特徴も多い。見出せたブルシャスキー語らしさ 地域特徴を差し引いて残った特徴が、一応はブルシャスキー語の本来的な特徴と見なせるのかもしれない。上の⑨~⑪に加え、⑫動詞が主語だけでなく目的語にも合わせて活用する、⑬接尾辞のみならず接頭辞を多用する(例えばatúmuspašuman < a-d-mo-s-bas-č-m-an(否定-完結-3人称単数ヒト女性目的語-他動-「残る」-未完了-非現在-1人称複数主語)「我々は彼女を救わない」の下線部が接頭辞)、⑭受動や使役などを助動詞(「られる」「させる」)などを用いて一律で生産するような文法的ヴォイスを欠いている、といった特徴もあり、その辺りで近隣言語とはやや毛色が違って見える側面もある。けれども⑫~⑭だって、通言語的には至って凡庸な特性なのだ。 北パキスタン的で、南アジア的で、アルタイ的な側面もある、系統的孤立語。そんなパッとしなさに最も「らしさ」を感じる、と言ったら話者に怒られそうだ。 ブルシャスキー語の得体を探る三大山脈ジャンクション。東にヒマラヤ山脈、北西にカラコラム山脈、南西にヒンドゥークシ山脈が迫る(2015年)。調査地カリマバードの遠景。中央右に見えるのがバルティット・フォートで、右上の白い山がウルタルII峰(2018年)。パキスタンインド中国カリマバードパキスタン北部の山奥でひっそりと話されている系統的孤立語。以前出会った話者の中には、「辺りの言語をかき集めて作った言語なんだ」という自称知識人もいたが、やがて言い得て妙だと思えてきた。吉岡 乾 よしおか のぼる / 国立民族学博物館、AA研共同研究員珍しくブルシャスキー語で命名された木彫店。ブルシャスキー語は無文字言語であり、ここではラテン文字表記されている。húnzu-e hayánは「フンザ谷-の 印/ギフト」の意(2017年)。*写真はすべて筆者撮影。ギルギット・バルティスタン州ブルシャスキー語の分布域

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