9FIELDPLUS 2019 01 no.21形) mal(「果て」)というネネツ語が語源で、“地の果て”という意味だが、文字どおり北は北極海に面する最北の地域である。南に接するハンティ・マンシ自治管区から続くタイガ(森林)地域から北方へツンドラ地域が広大に続き、ここでの大規模なトナカイ放牧がネネツ人たちの主たる伝統産業となっている。また、都市名の“サレハルド”も、salʲaʔ(「岬」の属格) xarad(町)というネネツ語であり、文字どおりには“岬の町”という意味になる。目にできるネネツ語 町で見かける看板や宣伝はロシア語ばかりである。しかし、ごく稀にネネツ語表記を見かけることもある。私が調査でお世話になっている場所の一つに、ラプツイ文学博物館がある。レオニード・ワシリエヴィッチ・ラプツイという、ネネツ人でネネツ語による文学を多く残した著名な文化人が住んでいた家を、彼の没後に博物館とした場所である。その中に、彼の作品の中からの一節が、フェルトでネネツ族の伝統的な色合わせの模様となって飾られている(写真)。この一節を例に、ネネツ語の特徴を見てみよう。1行目は写真にある現在キリル文字で書かれるネネツ語をローマ字に置き換えた(翻字した)もので、2行目はおおよその読みをカタカナで示した。ガ行音の前の「ン」は、いわゆる鼻濁音のような鼻にかかったガ行音を示し、「ル」と「ム」は母音を含まない”r”や”m”を示す。それほど珍しい音声はないが、キリル文字のなかに出てくる「’」「”」は、共に文字の一つであり、音は喉をキュッと閉める(発音記号でネネツ人の話す言語 ウラル語族サモエード語派に属するネネツ語を母語とするネネツ人は民族人口約3万人の、ロシア北方少数民族である。民族語保持率は8割にものぼるほどであるが、人口が多くないことや、都市部にて生活する若い世代ではネネツ語を話せずにロシア語のみ話す人も増えていることから、消滅が危ぶまれている。年配のネネツ語話者の中には、このネネツ語離れや、伝統的生活を知らずに都市生活に変わる若い世代を嘆く人も決して少なくない。しかし他の北方少数民族と比べるといまだ民族語保持率はかなり高い方である。実際、以下で紹介するサレハルドという町は、モスクワから直行便で3時間の場所であるが、街中でネネツ語を耳にすることができる。 ネネツ語の方言はおおよそ大きく、西方言、中央方言、東方言の3つに分けられる。私は、ロシア共和国の西シベリアのチュメニ州の北部、ヤマロ・ネネツ自治管区の中心都市であるサレハルドという都市を拠点にしているが、ここはネネツ語東方言に属する地域になる。 管区名の“ヤマロ”は、jaʔ(「大地」の属格は[ʔ]で表される)声門閉鎖音と呼ばれる音で、これがあるとないとでは意味が異なってしまう重要な音である。ŋerm jani tʲerʔ, inzʲelʲexerŋadaʔ …ンゲルム ヤーニ チェル インゼレヘルンガーダッtʲiki sʲoxonandoʔ ŋamgemʔ xintambʲiʔ?チキ ショホナンドッ ンガムゲム ヒンタンビッ「我が北の大地の人たちよ、聞きなさい…、彼らはその声で何をうたっているのか。」ネネツ語にもある、アルタイ諸言語と共通した言語特徴 先ほどの文をもう少し詳しく分解して、文法的な構造と意味が分かるようにしてみよう。ŋerm ja-ni tʲer-ʔ, inzʲelʲexerŋa-daʔ …北(の) 土地-私の もの-たち 聞く-あなたたちはtʲiki sʲo-xona-ndoʔ この 声-で-彼らのŋamge-mʔ xinta-mbʲi-ʔ 何-を 歌う-ている-彼らは ウラル語族に属するネネツ語は、アルタイ諸言語が共有する特徴を多く持っている。例えば語順は、述語となる動詞は必ず文末に来る。また名詞を修飾する形容詞は名詞の前に置かれる。文中での名詞の文法的役割を示すために、名詞の後ろに接辞がつくことでその格が示される。これらは日本語にも共通する特徴である。 また、名詞には単数と複数の形に違いがあり、所有者に対応する人称が標示される。一方、動詞には主語の人称が接辞となって接続し、活用する。名詞と形容詞には明確な差はほとんどなく、名詞を他の名詞の前に置くと形容詞のような役割にもなり得る。日本語にはない文法であるが、アルタイ諸言語の多くはこのような特徴を持つ。ネネツ語らしい特徴 一方で、上で紹介した文には出てきていなかったが、アルタイ諸言語にはあまり見られない特徴もある。例えば、名詞には単数と複数があると指摘したが、実は「2つある」という数を表す双数があり、1つを表す単数や、3つ以上を表す複数とは区別している。動詞の否定形は、否定を表す特別の動詞があり、それが活用し、本来の動詞は形を変えずにその否定動詞の後に置かれるだけである。また動詞の活用は、主語だけでなく目的語に対応して形を変えることもある。これらは、アルタイ諸言語にはほとんど見られないが、他のウラル語族に属する諸言語には共通して見られる特徴でもある。やはりウラル語族は、アルタイ諸言語とは似て非なる言語グループと思われる。 ネネツ語の世界 ウラル語族とアルタイ諸言語の間の共通性一年の半分は雪と氷に覆われたツンドラでトナカイ放牧を生業として生きるネネツ人の言語。ウラル語族サモエード語派に属する彼らの言葉を少しのぞいてみよう。松本 亮 まつもと りょう / 神戸山手大学ラプツイ博物館で見ることができるネネツ語(2017年)。ヤマル半島シュナイ・サレというネネツ人の村の風景(2018年)。*写真はすべて筆者撮影。ヤマロ・ネネツ自治管区シュナイ・サレサレハルド
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