FIELD PLUS No.21
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付け加えられて語を形づくることなどが特徴で、これらの点で日本語話者から見ると、見た目以上に最初は親しみやすい言語である。もっとも、チュルク語族の諸言語の多くに見られるように前の母音のタイプによって次の母音が変化するという現象もあり、この点はアゼルバイジャン語を習得するなら、最初に少し慣れる必要がある。 一方で、使用語彙はトルコ語と異なることも多く、文法についても異なる点が多い。たとえば、アゼルバイジャン語には相手に「はい」か「いいえ」かを尋ねるときに使われる助詞(日本語で疑問をあらわす「~か?」のようなもの)がトルコ語と同様に一応あるが、実際の話し言葉ではほとんど使われず、代わりにイントネーションを上げながら最後の母音を長く伸ばして表現するという特徴がある。日本語でたとえると、「ごはん、食べましたか?」より、Yemək yedin?(ごはん 食べた-君が)「ごはん、食べました~?」と文末を上げ、また母音を伸ばすように話すほうが好まれるというわけである。これは標準的なトルコ語には見られない現象であるが、では肝心のその助詞はいつ使われるのか、使われる時はトルコ語のそれと同じと言えるのか、といった今、アゼルバイジャン語がアツい ここ数年、筆者はトルコ在住者としてトルコ語に親しむ一方で、アゼルバイジャン語にも興味を持ち続けている。語学として純粋に個人的な趣味としている一方で、毎回バクーを訪問する際には聞き取り調査やアゼルバイジャン語に関する様々な言語資料の収集に努めている。その目的は、簡単に言えば「自前の」文法書を作ることである。「ごはん、食べました~?(⤴)」 アゼルバイジャン語はチュルク語族の南西語群といわれるグループに属しており、同グループに属するトルコ語とも多くの共通点がある。多くのアルタイ型言語と同じく、いわゆるSOV型の語順をとること、語幹に複数種の接辞が一定の順序でいくつかの疑問が浮かび上がってくる。「よりよい文法書」をめざして 筆者はここ数年、その時々の研究課題に関して少しずつアゼルバイジャン語の言語資料を収集しているが、もちろん既存の文法書がないわけではない。20世紀以降だけでも、現代のアゼルバイジャン語の音声・表記、語構造、語順などについて、数多くの良質の文法書がソビエト連邦時代、アゼルバイジャン共和国時代を通して著されている。日本でも、すでに日本語で解説が書かれたアゼルバイジャン語の文法書が公刊されており、大型書店に行って語学書のコーナーを眺めれば、すぐに見かけることができるだろう。先人たちのおかげで、アゼルバイジャン語の文法の知識を得たい時にすぐに既存の文法書にアクセスできるのは、大変ありがたいことである。しかし、それでも「あれ? ではこう言いたいときはどうなるんだろう?」「こういう言い方をしてみたいんだけど、アゼルバイジャン語として間違っていないかな?」と思うこともたびたび出てくる。当然のことだが文法書には、そこに書かれていること以外のことは書かれていない。先ほど述べた疑問を表す助詞が出てくるときの条件も、あまり説明がされておらず、筆者が詳しく知りたくなったことの一つだったのである。 聞き取り調査のときには、あらかじめ調べたい項目について例文を作成し、現地に居住しているアゼルバイジャン語の母語話者にそれらの例文が自然かそうでないかを判断してもらう。筆者が聞き取り調査で得たデータには、「こういう言い方が実際に存在する」というデータだけでなく、「こういう言い方はアゼルバイジャン語ではできない」というものも含まれている。学習者は文の適不適を判断することができないが、母語話者は初めて聞いた文でもそれが自然な文か、そうでないかを判断できるという(うらやましいことこの上ない)能力がある。その力をお借りして、適格なものと不適格なものを分けるような隠れていたルールが書かれた、そんな文法書を作りあげるということを究極の目標としているというわけである。 さて、疑問助詞の課題。実はまだ明確な結論を出せておらず、調査の過程でさらに調べたいこともたくさんでてきている。しかしその都度、そしてまたそれだからこそ、毎回新しい発見を期待してバクーを訪問し、お世話になっている現地の人たちにお目にかかる日を待ち遠しく思うのである。 アゼルバイジャン語に惹かれてトルコ語とアゼルバイジャン語は、互いによく似ていると言われる。人によってはアゼルバイジャン語を「トルコ語の方言」と言うことすらある。だが、そんな一言では片づかない何かがそこにあるような気がしている。吉村大樹 よしむら たいき / アンカラ大学、AA研共同研究員千島火山帯は北海道からカムチャツカへと続く。ゆえにカムチャツカには火山があり、地震もあるが温泉もある。旧市街にて、ボードゲームに興じる人たち(2018年10月)。アゼルバイジャンはチェスが盛んな国としてもよく知られ、市内の公園には巨大なチェス盤も置かれている(2018年10月)。アゼルバイジャンの首都バクー市の丘の上にある「殉教者の広場」から見た景色(2017年7月)。目抜き通り、ニザーミー通り沿いは夜美しくライトアップされ、多くの人で賑わっている(2016年1月)。アゼルバイジャンシェキシャンカンディランカランバクースムカイトギャンジャ*写真はすべて筆者撮影。

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