フィールドプラス no.20
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ということだが、村の子どものほとんどが就学していない。トンレサップ湖上に浮かぶ水上のD村は、陸からボートで約2時間の距離を水の流れにのって浮遊しており、子どもが通える距離に公立小学校はない。また、すべてのコミュニティにおいて、無国籍の子どもが小学校から中学校、高校へと進学したケースはなかった。 ベトナム系住民は、一時的な解決策として、彼らが「ベトナム学校」と呼ぶ寺子屋式の無認可の学習施設に子どもを通わせ、最低限のベトナム語と計算を学ばせていた。ベトナム学校はコミュニティの中に作られ、少額の月謝を集めてコミュニティの識字者が独自のカリキュラムで教えるというスタイルである。子ども一人当たり平均して2年から3年ベトナム学校に通わせ、カンボジアの公立小学校への入学のチャンスを窺うケースが多い。 統計資料がないので正確な数は不明だが、カンボジア公立学校に通わせているケース(ベトナム学校にも並行して通わせている場合を含む)が1割、ベトナム学校のみに通わせているケースが約7割、残り約2割は公立の小学校とベトナム学校のどちらにも子どもを通わせていないケースという状況のようだ。学校に託す願い 無国籍の子どもを持つ親にとって、子どもを公立学校に就学させるには大きな負担が伴い、運良く小学校に入れてもその先はない。それでも、どの親も子どもを学校に通わせたいと口を揃える。それは、学校に通って卒業証書という公的な書類を手に入れ、なおかつクメール語の読み書きをマスターするというのが、カンボジア国籍を取得するほとんど唯一の道だからである。例えば、B村に強制移住させられ、無国籍のまま3人の子どもを育てている父親は、以下のように述べている。 できることならばもう一度子どもたちを前の小学校に戻してやりたい。クメール語を学べば国籍が取れるかもしれないと聞くし、たとえ国籍が無理でも将来良い仕事に就いて高い給料をもらい、家族を助けてくれるという道が開ける。今は[退去命令により]学校が遠くなって通わせることができないので、しかたなくベトナム学校に通わせているんだ。せめてベトナム語の読み書きだけでもできれば、こちらに進出しているベトナム企業に就職したり、ガイドや通訳になったりもできるだろう? たとえ中学校に進めなくても、クメール語をマスターできれば、いつかはカンボジア国籍を取得できるのではないか。国籍を取得できれば、安定した仕事に就き、土地を買って陸地に住み、普通の暮らしができるのではないか。こういう期待があるから、越境する子どもと学校 ベトナム系の子どもたちは、自分では越境を経験していないが、日々目に見えない境界を意識しながら生きている。彼らにとっては学校も境界である。なぜなら、ベトナム系住民にとっては、カンボジア国籍を獲得し普通の暮らしを実現するためのほとんど唯一の道だと認識されている学校だが、現実には、その国籍が理由で子どもたちの就学機会は狭められ、無国籍状態に留め置かれる状況が続いているからである。この事実は、そもそも「国民」教育の場として制度化されてきた近代学校教育制度の限界を実感させるだけでなく、学校の意義やあり方を根本から考え直す可能性を暗示しているようにも感じるのである。親は多少無理をしても子どもを学校に通わせたいと願うのである。対照的に、ベトナム学校は生活に役立つ実用的な知識を学ぶ場であり、最低限でも子どもに教育を受けさせたいという親の願いが託されている。約4000人のベトナム系住民が生活するB村。川の両岸にボートの家が並ぶ。水上に浮かぶC村のカトリック教会。併設の青い建物がベトナム学校である。仏教国カンボジアにあってもベトナム系住民の多くがキリスト教を信仰している。朝の通学風景。往復10円のボート代を払えないために学校に通えないという子どもも多い。5

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