メコン川日常的に越境を繰り返すトランスナショナル家族にとって、学校は子どもをめぐる最大の関心事である。カンボジアに住むベトナム系住民の子どもと学校の複雑な関係を探ってみた。カンボジアのベトナム系住民 ベトナム系住民は、17世紀以降現在のカンボジア領に定住するようになり、フランスによる植民地支配下ではカンボジア統治政府の官僚としても登用されていた。フランスからの独立運動として湧き上がったナショナリズムは、「クメール人(カンボジア人)」の国家を建設しようとする運動であり、したがって少数民族、特にベトナム系住民を排除しようとする動きにもつながっ*写真はすべて筆者撮影。4歳から15歳くらいまでの120人以上の子どもたちが学ぶA村のベトナム学校。た。この動きは1953年の独立後に強まり、約150万人が死亡したとされるポルポト政権(1975年4月〜79年1月)下では、ベトナム系住民の大半が国外追放となるか、虐殺の対象となった。しかし、ベトナム軍の支援を受けたカンプチア民族救国統一戦線によってポルポト政権が倒されると、以前カンボジアに住んでいた人々が帰還するとともに、新しくカンボジア領に移り住むベトナム人も現れ再定住が進んだ。ただし現在も国民の反ベトナム感情は根深く、ベトナム系住民は行政的にも他の少数民族とは異なる不利な扱いを受け続けている。無国籍のベトナム系住民 通常、7年以上カンボジアに居住することやクメール語の読み書きができることなどの条件を満たせば、外国人が帰化してカンボジア国籍を取得することが可能である。お笑い芸人の猫ひろし氏も、こうしてカンボジアに帰化して、2016年にはマラソンのカンボジア代表としてリオオリンピック出場を果たしている。しかし、ベトナム系住民の多くはポルポト政権崩壊後の混乱の中でカンボジアに移住しており、そもそも無国籍の子どもの就学状況 カンボジアの小学校就学率は、政府発表の統計によれば約95%である。だが数万人に及ぶ無国籍のベトナム系の子どもはこの母数に含まれず、あたかも存在しないものとして扱われている。カンボジアの学校教育はクメール人の国家を支えるクメール市民を育成することを目的としており、無国籍の子どもを受け入れる法的責任はないためである。また、ベトナム政府としても、海外子女教育はあくまでベトナム国籍を持つ子どもを対象としており、ベトナム国籍を持たない子どもたちはその対象外である。そこで、筆者は、ベトナムと繋がるメコン川流域及びトンレサップ湖沿いにある4つの村でフィールドワークをおこなった。 調査時点でベトナム系住民の学齢期の子どもは移民第二・第三世代で、そのほとんどが上記の理由で無国籍だった。子どもの就学状況はコミュニティや家庭の状況によってばらつきが見られた。メコン川沿いの地上に形成されたA村では、村長によって発行された暫定的な書類により、無国籍の子どもでもカンボジアの公立小学校に通学しているケースが多数観察された。同様に、トンレサップ川の水上にあるB村では、陸地にある公立小学校が特別に無国籍の子どもを受け入れていたというが、数年前の強制移住により学校が遠のいたため、現在就学している子どもは皆無であった。トンレサップ湖の湖岸に形成されたC村では、親が村長に賄賂を渡して住民カードを入手し、陸上の公立小学校に通う子どももいるパスポート等の公的な書類を持っていないことに加えて、先に述べた行政的な制約により、ポルポト政権崩壊後に移住した移民第一世代の多くが帰化を認められず、「不法に滞在する外国人」としてカンボジアに居住している人々も多い。その結果、移民第二・第三世代である彼らの子どもや孫は、ベトナム国籍もカンボジア国籍も得られず無国籍状態に留め置かれるという空白が生じている。その多くは、ベトナムに繋がるメコン川とトンレサップ湖の河岸や水上にコミュニティを作って生活しており、その数は20万人以上と見積もられている。B村A村トンレサップ湖D村C村プノンペン4ベトナムカンボジアカンボジアにおけるベトナム系住民の 子どもと学校荻巣崇世おぎす たかよ / 名古屋大学大学院国際開発研究科学術研究員、AA研共同研究員
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