フィールドプラス no.20
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タイ北部山岳国境地帯の山村で暮らす、老人と子ども。この村で普段、働き盛りの20〜40代の姿を見かけることは少ない(筆者撮影、2016年)。2責任編集 石井香世子 「4番目の子どもが4歳になったとき、香港へ行ったの。子どもに満足な教育を受けさせてやるために。9年間、行ったきりで働いて。私が村に帰ってくると、今度は入れ替わりに夫が台湾へ行った。」 そう語る女性の家に、子どもたちはもういない。今、苦労して外国で働いて山間の村に建てたピカピカの家で、出稼ぎから戻った2人が、出稼ぎ中の娘に代わり幼い孫たちを育てている。この村では、どの家も大抵そんな感じだ。村にいるのは、かつて出稼ぎをしていた老人か、やがて出稼ぎするだろう子ども――出稼ぎ先で怪我をして「使い物にならなく」なり、満足な治療も補償も受けられず故郷に帰ってきた怪我人や病人。 「この村は、いったい何なのだろう。親と滅多に会えないまま、山村の豪奢な家に暮らすこの村の子どもたちの存在は、現代グローバル社会の何を表しているのだろうか」――私がタイ北部で受けたこの衝撃を、形を変えて共有する研究者たちがいました。そうした研究者たちが集まって生まれたのが、この研究プロジェクトです。アジアでは、1980-90年代を境に、国境を越えて働いたり嫁いだりする人、そうした人からの送金や彼らの帰りを待つ故郷の家族、出稼ぎに来た人たちによって支えられる受け入れ社会……といった状況が忽然と大規模に出現します。もはや後戻りは難しいグローバル化・情報化・新自由主義の大きな歯車が、あちこちで軋みながらも、大きな音を立てて回り始めているのです。このプロジェクトでは、その軋みを探るのに、「子ども」というレンズを通すことが一つの有効な分析手法だと考え、東・東南アジア各地のフィールドの事例から、分析を進めています。巻頭特集

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