フィールドプラス no.20
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カシュガルヤルカンドカシュガルは、古くから「シルク・ロード」の要衝として栄えた中国・新疆ウイグル自治区西部の都市である。当地にかつて存在した小さな古本屋たちとの個人的体験を通して、この町のここ30年の変化を振り返ってみたい。往時のカシュガルの古本屋(2000)。中 国28 古本屋の話がしたい。それは30年ほど前のカシュガルの古本屋のことだ。まるで屋台のような小さな店で、間口は2メートルもない。キオスクのような箱形で、そこから往来にせり出した板の上に本が並べられている、そんな本屋だった。そういう古本屋が、かつてカシュガルでは、町の中心である金曜モスク(イード・ガーフ・ジャーミー)の北面の壁に寄りかかるように、いくつか軒を連ねていた。 それら古本屋では、中国の国営出版社から出されたコーランなどの経典や、著名な文芸書、歴史書は言うに及ばず、ほかの国や地域で印刷されたと思しき宗教冊子の類も豊富に売られていた。そればかりか、アラビア語、ペルシャ語やチャガタイ語で書かれた手書き写本まで、少なからず店頭では手に取ることができたのだ。●邂逅:1980-90年代のカシュガルで 私がカシュガルにはじめて足を踏み入れたのは1986年8月のことだった。当時学部2年の私はもちろん土地のことば(ウイグル語)は片言も分からなかったし、中国語だって甚だ怪しく、店先にずらりと並べられたアラビア文字の本は一つも理解できる代物ではなかった。しかし、いちいち立派な風貌をした白鬚の店主が店舗の内側に座を占め、なじみ客と思しきウイグル紳士たちと本を手に語らう光景は、まるで一幅の絵画のようで、そこに私は本物の異国情緒を見た思いがした。爾来30年。いまにして思えば、あの体験は、どう控えめに言っても、私の人生を変えた「邂逅」だったに違いない。 カシュガルの古本屋と出会ってから、私はカシュガルを中心とする新疆地域の歴史と言語を学び始め、2年間は留学生として新疆に住んだ。カシュガルもたびたび訪問し、その古本屋たちに通っては本を求めた。そして、幾人かの店主とは顔馴染みにもなった。あのころの店主たちは「解放」以前に伝統教育を受けた世代で、アラビア語やペルシャ語の素養がある人もいたし、古典作品についての知識も豊富だった。 90年代ごろまで、あの古本屋の連なる一角は、私にとっては実に魅力的な「狩場」―まさしく「フィールド」だった。国営の新華書店ではもう買えなくなった絶版本も、時には発禁となり焚書の憂き目を見たような本も、尋ねればそう日をおかずに手に入れることができた。 そして写本。各店舗に置かれた写本はそう多くはなかった。しかし店主たちはどうやら別の場所に蔵のような置き場を有し、そこから適当な本を見つくろって持ってくるらしく、日によって違う写本が出てくるのだった。いったい彼らの「蔵」にはどんな本が並んでいるのだろう、と私の関心はかき立てられた。しかし、図々しくも「あなたの蔵書を見せてくれ」とまで言うことは私にはどうにもできなかった。 店主たちが見せてくれた写本の多くは宗教書や詩集であり、当時の私の目当ての歴史書や聖者伝の類は実に少なかった。しかし、生の写本を店先で、物知りの店主の講釈に耳を傾けつつ飽かず眺め続けられたのは、至福の体験だった。コピーなどで読むよりも写本実物の方がはるかに読みやすい、という「常識」を私はそこで学んだ。カシュガルの古本屋は、私にとり、「写本読み」の最初の修行の場だったと言えよう。●変動:新世紀の都市改造と古本屋 私にとってのカシュガルとの最初の10年余はおおむね平和な時代であった。しかし世紀が改まったころから事情は一変した。私が付き合った古本屋の老店主たちは、90年代の後半にばたばたと亡くなり、古本屋の世代交代が進んだ。そのためか、私の目には馴染みの古本屋たちが、どこか生気を欠いた、つまらない場所になってしまったように思われた。*写真はすべて筆者撮影。ウルムチ新疆ウイグル自治区北京特別寄稿菅原 純 すがわら じゅん / 蘭州大学、元AA研フェローカシュガルの古本屋

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