フィールドプラス no.20
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朝鮮王朝時代、通訳養成・語学学習のためにさまざまな語学学習書が作られた。語学学習書を読むと、当時の社会情勢、風俗だけでなく、人々のくらしや考え方まで垣間見ることができる。写真1:朝鮮板『伊路波』。ひらがなの左下にハングルで発音が記されている(香川大学図書館神原文庫所蔵、分類番号829.1)。写真2:右から2行目および3行目中央のハングルᄋとᄀはそれぞれ[ŋ]と[k]の音を表す文字。この2つを組み合わせることで、日本語の濁音[ɡ]を表していた。『捷解新語』巻1第1張裏(ソウル大学奎章閣韓国学研究院所蔵、請求記号 奎貴1639)。写真3: 「兄さん、どこから来たんだい?」「私は高麗の都から来たんだ」から始まる会話。大字の漢字の下の小さいハングルは2種類の漢字音、白丸(○) に続いて小さいハングルで書かれているのが朝鮮語訳。『飜譯老乞大』巻上第1張表(影印:中央大学校出版局『翻譯老乞大巻上』1972年)。26ハングルの誕生とハングル文献 いまや日本の街中でもいたるところで目にするようになったハングル。この文字は1446年に「訓くんみんせいおん民正音」の名で公布された。「民を訓おしえる正しい音」であるこの文字は、朝鮮王朝第4代国王世宗が、漢字を学び使うことができない民衆のために作った文字である。これ以前は、漢字を用いて朝鮮語を記していたが、残念ながら現存する資料に乏しい。 ハングル創製以降、仏教・儒教関係、詩歌、実用書、韻書(字書)、語学学習書等、さまざまなハングル文献が刊行された。これらのハングル文献は朝鮮語の歴史研究には欠かせない資料だ。筆者もこれらの文献を調査資料として昔の朝鮮語の文法を研究しているのだが、用例を集めようと資料を眺めているうちに、言語そのものよりも内容が気になり、用例そっちのけで読みふけってしまうものがある。それが語学学習書だ。司訳院と語学学習書 朝鮮王朝時代、通訳養成や語学教育のための教材をつくる「司し訳やくいん院」という公的機関が設置された (1393年)。司訳院では、漢学、蒙学、女真学(のちに清学)、そして倭学の四学が設置され、朝鮮をとりまく4つの言語、すなわち中国語、モンゴル語、満洲語、日本語が学ばれ、語学書が作られた。日本語について、現存する教材で最も古いものは『伊いろは路波』(1492年) であり、これは唯一本として香川大学に所蔵されている(写真1)。ひらがなの左下に小さく記されたハングルは、そのひらがなの読みを表したものである。 語学書によっては、このようにハングルを用いて外国語の発音を表していることがあるのだが、外国語の発音を表すハングルには時に朝鮮語の表記には用いられない組み合わせが見られる。例えば、写真2は、日本語の語学学習書『捷しょうかいしんご解新語』(後述)に出てくる「御」(ご)の発音を表したものである。このハングル ᄋ と ᄀ の組み合わせは、朝鮮語の表記には用いられない。朝鮮語は清濁(無声音と有声音)の区別がない言語で、ハングルもこの違いを反映していない。しかし日本語は清濁の区別があるため、通常とは異なる組み合わせをもって、日本語の濁音を表そうとしているのだ。現在わたしたちが目にする語学書でも、日本語にはない音をカタカナで表す際に、小さい文字にしたりひらがなにしたりと工夫をこらしていることがあるが、時代も場所もこえた先人たちもこのような努力をしていたのだ。フロンティア朝鮮王朝時代のおすすめ語学学習書 小山内優子 おさない ゆうこ / AA研研究機関研究員

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