FIELDPLUS 2018 07 no.20碑文は古代・中世初期南アジア史研究の重要な史料である。それらをどのようにして「あつめる」のか? インド・バングラデシュでの10年にわたる中世初期ベンガル碑文調査の経験をもとに、その方法を探ってみよう。インド中華人民共和国中華人民共和国ネパールネパールブータンブータンバダル石柱(バングラデシュ、ナオガオン県:撮影著者):5世代にわたって6人のパーラ朝の王達に仕えた大臣一族の系譜・頌徳文が刻まれている(9世紀前半)。写真の通り、農地の只中に石柱が立っている。18碑文はどこにあるのか? 貝ばい葉ようや樹皮などの脆弱な筆記媒体に書かれたであろう当時の記録・文書がほぼ現存しない、古代(前6世紀~後6世紀)・中世初期(6世紀~13世紀)南アジア史の研究において、宗教的施与などの営為や王の頌しょう徳とく文などを石や金属に記録した碑文は、過去の文章をそのまま伝える貴重な史料である。これらには、石板や岩石に刻まれた石碑の他、石柱碑、銅板に刻まれた施与地の権利証書である銅板文書、施与者の名を記した像銘などが含まれる。同時代南インドの碑文がサンスクリット語と各地域の言語を別々の文字で刻んだバイリンガルのものを含むのに対し、ベンガルを含む中世初期北インドの碑文は、基本的にサンスクリット語のみが、ブラーフミー文字から発展した各地域の文字で刻まれている。ただし、人名や地名などには地域言語の影響も認められる。 200年以上続く南アジア碑文学の成果として多くの碑文が校訂され、学術誌上で公表されている。王朝・地域ごとの碑文集も編纂されており、それらにより各碑文のテクストや書誌情報を体系的に取得できる。拓本や写真が添付されていれば、原文も確認できる。しかし、校訂や拓本・写真の質にばらつきがあってしばしば再校訂が必要となり、また、未校訂・新出の碑文もあるため、現物にアクセスする必要が生じる。碑文調査の第一の課題は、所在を知ることである。 公表済みの碑文の場合、発見地・経緯とともに現在の所在が出版物に言及されている。博物館・政府考古局・学術協会などの公的機関が保有者であれば、公表から時間が経っていても、多くの場合そのまま碑文を所蔵している。カタログがあれば、それで所蔵と登録番号を確認できニュー・デリーる。なければ、各機関で所蔵品台帳を見せてもらうか、担当者に尋ねるしかない。個人蔵の場合、時間が経つとほぼ確実に所有者が変わっている。博物館が収集していれば、所蔵碑文確認の過程で見つかるが、さもなければ所在不明ということになる。 新出碑文については、まず発掘などにより発見・報告される場合があり、考古局・大学など発掘・発見の主体から収蔵先に見当を付け、そちらに確認を取る。また、各機関で所蔵碑文の写真を取得し、台帳を確認すると、それらに未公表の碑文が含まれていることがある。近年、南アジア前近代史に特徴的な銅板文書が美術品市場に流れ、所在不明の既発表碑文ともども、個人収集家の手に渡るケースも見受けられる。これらを含め、新出碑文の所在情報の入手は、研究者や博物館職員との人的ネットワークに大きく依存する。 なお、寺院の壁に埋め込まれた石碑や農地の只中に立った石柱碑など、現地に残されたままの碑文もある。度重なる行政単位や地名の変更で公表時の地理情報が古くなっていることが多く、現地研究者の最新情報を頼りに探し回るほかない。バングラデシュバングラデシュ碑文にどうアクセスするのか? 所在が確認できたら、第二の課題マルダバダルコルカタ中世初期ベンガル碑文調査の方法古井龍介ふるい りょうすけ / 東京大学東洋文化研究所あつめる 3碑文を「あつめる」
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