筆者による録音セッション。カチン人協力者による録音セッション。なしに失われると二度と復元できない。カチンの人々もこの事態を危惧しており、口承を後世に伝えたいという声が多く聞かれる。また、これらは学術的にも貴重な言語・民俗資料である。口承の記録と保存は、現地コミュニティにとっても研究者コミュニティにとっても重要性の高い課題であり、また、今なされなければならない課題である。口承の記録と保存 筆者はカチン人の言語のうち、特にジンポー語を対象としたフィールドワークを2009年に開始し、調査の一環としてジンポー語によるカチンの口承の蒐集を進めた。特に2016年からは現地のカチン人と共同で口承の蒐集を精力的に行った。調査では、筆者らが口承をよく知る話者を訪れ、マイクとレコーダーを用いて語りを録音し、その後筆者らで手分けして録音の書き起こしと翻訳を進めた。これらの作業はいつもスムーズに進んだわけではない。まず、口承をよく知る語り手を探すことが必ずしも容易ではなく、多くの人に聞いて回る必要があった。語り手を訪ねてみると物語をあまり知らないということも多かった。また、録音の書き起こしも非常に根気のいる作業である。このような困難はあるものの、どの語り手も伝統文化の記録と保存のために、と快く録音に協力してくださった。また、書き起こしは母語話者にとっても骨の折れる作業であるが、熱意を持って取り組んでくださった協力者のおかげもあり、かなりの分量の書き起こしが可能になった。一連のフィールドワークの成果として、2017年3月時点で196名の語り手による1,805話の口承の録音を得ることができた。また、2018年3月時点で1,248話分の書き起こしが完了した。 2017年7月に筆者は蒐集した口承の全データをデジタルアーカイブPARADISEC(Pacific and Regional Archive for Digital Sources in Endangered Cultures)に登録・公開した(http://catalog.paradisec.org.au/collections/KK1)。PARADISECは世界の少数民族の言語と文化に関するアーカイブであり、太平洋地域を中心に1,000を超える言語の資料が保管されている。筆者が構築したカチンの口承文芸コレクションでは、カチンの昔話、伝説、神話を中心に、ことわざ、なぞなぞ、唱えごと、民謡から、歴史、文化、信仰、料理のレシピに関する語りにいたるまで様々な録音とそれに対応する書き起こしを公開している。口承の共有と活用 上記コレクションの目的の1つは、カチンの口承文芸継承の手助けをすることである。そのため、コレクションの全データはインターネット上で無償かつオープンアクセスで公開している。これにより、関心を持つ誰もがどこにいてもカチンの口検索ソフトAntConcを用いた単語の頻度表。承を気軽に聞くことができるようになった。コレクションを多くの人に知ってもらうため、筆者はカチン州、シンガポール、メルボルンなどのカチンコミュニティで周知活動を行った。また、SNSを用いて情報を拡散した。同コレクションはカチンのネットニュースでも紹介された。カチン人自身による口承の共有と活用が今後より広がり、口承文芸の再活性化に繋がることを期待したい。 また、このコレクションは言語学、人類学、民俗学などの研究にも有用である。言語学を例に取ると、書き起こした口承をコンピューターで検索することで、用例の発見はもちろん、単語の頻度や、どの語とどの語が連続して現れやすいかなどを簡単に調べることが可能である。例えば、書き起こした口承で最も頻度が高い語はai(動詞に付き、「~する」や「~した」を表す語)であり、67,204回現れている。このような頻度情報を用いることで、重要度の高い語をまとめた辞書を編纂することができる。また、論文や文法書などの例文をコレクションから引用することで、例文と実際の音声を紐づけることも可能となる。今後は資料の翻訳と注釈の公開を進め、研究者コミュニティと一般社会の利用に供することができるよう努めたい。* 写真は筆者撮影。ただし、「民族衣装」の写真はカチンの友人による提供。FIELDPLUS 2018 07 no.20PARADISECのカチン口承文芸コレクション。17
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