FIELDPLUS 2018 07 no.20ミャンマーのカチン人が有する豊かな口承文芸は、近年の社会の急激な変容により、急速に失われつつある。これら無形文化財は、一度失われると二度と取り戻せない。カチンの口承を大量に蒐集するとともにデジタルアーカイブで公開することで、口承文芸のドキュメンテーションと伝統文化継承の手助けをする。ミャンマーミャンマーカチン州カチン州とカチン人 ミャンマー最北の州はカチン州である。カチン州の州都ミッチーナーへは、最大都市ヤンゴンから北上すること飛行機で2時間、列車だと2日かかる。カチン州の多くは山地である。東南アジア大陸部の多くの山地がそうであるように、カチン山地は平地に比べ人口がまばらで言語・文化的により多様である。カチン州の主要民族の1つはカチン人である。カチン人は言語的に多様であり、お互いに通じないほど異なる複数の言語を話す。これらには、ジンポー語、ツァイワー語、ロンウォー語、ラチッ語、ンゴーチャン語、ラワン語などがある。また、これらの1つを取っても地域差は大きく、例えば、ラワン系言語は70以上の言語と方言に分かれるとされる。この言語多様性にもかかわらず、カチンの人々が多かれ少なかれ共通の民族意識を持つ理由の1民族衣装を身にまとったカチンの人々。つに、言語集団を横断する共通の氏族体系による結びつきがある。これにより、母語にかかわらず、カチン人同士であれば、誰と誰が親族関係にあり、誰と誰が結婚できるかなどが決まっている。カチンの人々を結びつける別の要因にジンポー語がある。この言語はカチン人の間で共通語として通用し、言語的に多様なカチンの人々を結びつける1つの紐帯としての役割を果たしている。豊かな口承文芸 文字のなかった時代からカチンの人々は口伝えによる豊かな伝承文化を持っていた。その内容は、昔話、伝説、神話、ことわざ、なぞなぞ、まじないなどの唱えごと、民謡など多岐にわたる。例として、カチンの昔話をいくつか紹介したい。 「蛇婿入り」。母娘が山でヘビに出くわす。ヘビは娘を気に入り、夜ごとに娘のもとへ通ってくる。夜、ヘビは皮を脱いで青年になり、明け方、皮をまといヘビとなって山へ帰る。帰るたびに鱗を1枚落とし、それは金片に変わる。母娘は裕福になる。ヘビを愛した娘はヘビが皮を脱いだすきに皮を燃やす。青年はヘビに戻らず、娘と幸せに暮らす。それを見た隣人は山へ行き、ニシキヘビを捕えて持ち帰る。夜、隣人は自分の娘とニシキヘビを一緒に寝かせると、ヘビは娘を呑んでしまう。 「傲慢なカムカム鳥(夜にしか現れない伝説上の黒い鳥)」。鳥たちが祭りに行くために着飾る。カムカム鳥は自分の羽根が綺麗でないため祭りにプータオミッチーナーネピドーヤンゴンカチン州の一風景(プータオ郡ムラシディ村)。行くのをためらう。他の鳥たちは羽根を1本ずつ貸してやり、カムカム鳥は色鮮やかな鳥になる。祭りに行ったカムカム鳥は自分が鳥の中で一番美しいと威張る。怒った他の鳥たちはカムカム鳥の羽根を引き抜く。カムカム鳥は恥ずかしさのあまり逃げ去る。だから、今日、カムカム鳥は夜にしか姿を見せない。 中には日本の昔話とよく似た話も散見される。例えば、「姨捨山」、「花咲か爺」、「舌切り雀」、「カチカチ山」、「こぶ取り爺」などである。「姨捨山」はこう続く。嫁が姑を嫌い、夫に山へ捨てるよう促す。男はしぶしぶ母を背負って山へ入る。道中、母は木の枝で叩いて木の葉を落として行く。不思議に思った息子が理由を訊ねると、「お前が帰るとき、道に迷わないように道しるべを作っているのです」と言う。それを聞いて改心した息子は母を連れ帰り、よく世話をするようになる。この「枝折り型」の「姨捨山」は、柳田国男によれば日本固有の昔話であるという。しかし、実はカチンにも類話がある。失われつつある口承文芸 これまで伝承されてきた無数の物語の継承の糸がいま途切れようとしている。カチンの伝承は親から子へ、祖父母から孫へと口頭により伝えられてきた。しかし、近年の社会の急激な変容により、口承は急速に失われつつある。テレビやインターネットの普及により、口承に対する若者の関心は薄れつつある。口承は口伝えという性質上、記録16倉部慶太くらべ けいた / AA研あつめる 2ミャンマー北部で失われつつある口承文芸をあつめる
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