故郷を追われ、帰る場所を失った無国籍の子どもたちがいる。彼らが移住先に安心して暮らせる居場所を持てるようにするには、私たちに何ができるのだろうか。越境する子どもたちの居場所 居場所。生きていくうえで誰しも居場所を持つことは重要である。異郷の地へ越境した人々にとって、心置きなく過ごせる自分の居場所を持つこと、家族のいる故郷へ帰ることは精神的な癒しとなる。一方、故郷に帰れず、移住先にも自分の居場所がない人は、どうすればその苦痛を乗り越えられるのか。本稿はそのような関心から、無国籍の人々の処遇に着目する。 無国籍の人々は、国々の法制度や外交関係の変動、越境にともなう法律の齟齬、書類や手続きの不備など、さまざまな原因により制度の隙間からこぼれ落ちた結果生まれている。国連難民高等弁務官事務所の推計によると、無国籍者は世界に1000万人ほどいる。 近代、国民国家の形成にともない、国境によって人々の暮らす場所は区画され、また国籍や市民権の創出によって、国民と外国人が区別されるようになった。国家は国籍や市民権を通じて自国民に権利や居場所ロヒンギャ族:世界最大の無国籍の民 ロヒンギャ族は、ミャンマー西部アラカン(ラカイン)州に多く集住しているイスラム系少数民族である。人口は推定80万人から120万人ほどといわれている。ロヒンギャ族は、ミャンマーの多数派である仏教徒のビルマ族と比べると顔の彫りが深く、皮膚の色も濃い。また、ミャンマーの公用語であるビルマ語ではなく、ベンガル語を話す。宗教、言語、民族的背景などの理由によりミャンマー国民からは「他者」として扱われている。を与える一方で、外国人には制限を与えている。そんな中、無国籍者は、法的にどの国の国民とも認められていないため、いつでも自由に帰れる国がない。そんな居場所のない無国籍の人々は、どのようなアイデンティティを有しているのであろうか? 無国籍といっても様々な類型があるが、ここではその一例として、世界最大の無国籍の民と呼ばれているロヒンギャ族に注目する。ヤンゴンに移住し小学校に通っていた頃。中央がティダ、左は姉、右は弟。日本群馬県館林ティダの祖母が所持していたミャンマーの国民カード。今では廃止されている。来日後に通った小学校の卒業式にて家族と先生と。右から2番目がティダ。無国籍の子どもの経歴 ティダは1989年アラカン州に生まれたロヒンギャ族である。彼女の祖父も曾祖父もアラカンで生まれた。彼女の父は大学時代、旧首都ヤンゴンで学び、その後アラカンに戻り高校教員をしていた。1988年、民主化運動に参加した父は軍による捜査の対象となった。そんな中、父は身の危険を感じ家族を残し日本へ逃れた。母も故郷の家などを売り払い、子どもを連れてヤンゴ ロヒンギャ族は自らをミャンマー国民と認識しているが、1982年の市民権法によりミャンマー国籍を剥奪され、無国籍と化した。アラカン州ではロヒンギャ族と軍との対立が激化し、村の焼き討ちや虐殺、女性への性的暴力が行われていると報じられている。ここ数年、計60万人を超える避難民が故郷を追われ海外に逃亡しており、その多くは隣国バングラデシュの難民キャンプなど劣悪な環境で暮らしている。難を逃れ来日したロヒンギャ族は250人ほどおり、その多くは群馬県館林市に集住している。 ここでは、故郷を離れ無国籍状態のまま日本に暮らしてきたロヒンギャ女性へのインタビュー調査とその家族史から、越境する子どもたちの居場所とアイデンティティを考えたい。アラカン(ラカイン)州*写真はすべてティダさん提供。ネピドーヤンゴン10ミャンマー無国籍者の居場所とアイデンティティ在日ロヒンギャ族の子ども陳天璽チェン ティエンシ / 早稲田大学、無国籍ネットワーク代表理事、AA研共同研究員
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