カウアイ島オアフ島ニーハウ島Field+ 2009 07 no.2モロカイ島マウイ島ラナイ島ハワイ島ホノルル食べ物は食べてしまうと目の前からは消えてなくなってしまう。そこが食文化のフィールドワークの難しくも面白くそして美味しいところだろう。オキナワン・フェスティバルのオープニング。市町村人会の旗を背にパーランクー・クラブがパフォーマンスをする。18 「沖縄料理? 子どもの頃は食べたことがなかったね。」ハワイに住む沖縄出身者の子孫(かれらの言葉で「オキナワン」)の三世からこのような言葉を聞いて驚かされたことが少なくない。 ワイキキのホテル街の東、ダイアモンドヘッドを望む、緑の眩しいカピオラニパークでオキナワン・フェスティバルは開催される。2001年の夏に訪れて以来、ボランティアとして手伝いながら、主に参与観察やインタビューの手法を使ってフィールドワークを進めてきた。2008年で7度目のフィールドワーク。フェスティバルの時期に定期的に訪れる私を覚えてくれる人の数が少しずつ増えてきて、東京や沖縄でも再会を喜び合うことができるようになってきた。フィールドワークと食べ物 はじめは食文化に研究の焦点を置いてはいなかったが、いまや私のフィールドワークに食べ物は欠かせない。1982年から毎年開催されているオキナワン・フェスティバルには各市町村人会などのボランティア組織がそれぞれ提供するオキナワソバやピッグフィートスープ(豚足のスープ)などのオキナワ料理を求めて毎年5万人以上の観客が集まる。私が毎年手伝っているのはサーターアンダーギー(揚げ菓子)作りだ。フェスティバル以外でもオキナワ料理をいただくことが少なくない。いつもお世話になっている二世のお宅でいただくカンダバージューシー(甘藷の一種であるヤエヤマカズラの葉の雑炊)やクーブーイリチー(昆布の炒め煮)は私の大好物となった。 フィールドワークを始めた頃にはハワイでオキナワ料理を口にする機会が頻繁にあった。だから私はハワイの沖縄系社会ではオキナワ料理が食されることが珍しくないものと思い込んでいた。ところが、三世たちは「子どものときにはオキナワ料理は食べていなかった」という。この回答は私にとって意外なものとなった。ハワイのオキナワン ハワイの沖縄系移民は1900年に26人がハワイに上陸し砂糖黍プランテーションに労働者として入ったことから始まる。以来、日本からの移民が禁止される1924年6月までに沖縄出身者とその子どもは16,536人となり、広島、山口、熊本の各県出身者についで4番目に大きなグループとなった。かれらは白人を中心とするハワイの主流社会から他の移民たち同様に抑圧を受け、さらに日本の「本土」出身の移民とその子どもたちからも差別された。そのためオキナワンはハワイの主流社会や日系社会に同化することにつとめ、自らの文化佐藤万里江 さとう まりえ/東京大学大学院総合文化研究科博士課程2食の記憶をたどる旅食べる
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