7FIELDPLUS 2018 01 no.19ドシウス1世がジュピター神殿をキリスト教会に改造させた。内側の中庭を囲む方形建物が聖ヨハネ教会となった。東向きのアプス(祭壇奥の半円状の後陣)のすぐ外に洗礼者ヨハネの墓廟が置かれた。イスラームのモスクに 7世紀の前半、イスラーム教徒(ムスリム)の軍団がダマスクスを占領した。キリスト教徒はその後も約70年間、聖ヨハネ教会で従来通り礼拝できた。661年にダマスクスを都とするウマイヤ朝が樹立されていたが、ムスリムは徐々に教会の東側スペースを使って、メッカの方向である南に向かって礼拝し始める。8世紀初め、6代目カリフ・ワリード1世はキリスト教徒を退去させ、7年かけて聖ヨハネ教会の建物を東に延伸してイスラームの礼拝堂に改造した。東西約150m、南北約38m、天井高約25m(ドーム部分は約45m)の大空間が生まれた。内部は22本×2列のコリント式石柱が並ぶ壮観となった。中庭も含めた全体の規模は159×98m。屋根は木造だが、壁面や構造はすべて石造である(2012年に戦前の外観を復元した東京駅舎は335×20m、軒高約13m、ドーム高35m)。 これまでに何度か改修を経ているが、最近では1893年の大規模火災の後、9年かけて改修された。毎回、建築技術の粋を集めて原状回復の努力がなされた。重層する建築と宗教 ウマイヤ・モスクの重層する歴史の痕跡を見てみよう。そもそも、モスクと周辺の地盤自体が、古代大神殿の頃から4mほど上昇している。それはモスク壁面に残る入口跡が妙に低いことからも確認できる。3千年のチリが積もって山となったのだ。モスク壁面にはギリシア文字で碑文が刻まれていたり、小さな彫像が姿を隠していたりする。 イエスを洗礼した聖ヨハネの墓廟は、現在も礼拝堂の中にある。イスラームでは最初の人間アダムから始まり、ムハンマドを最後として、神の啓示をうけた預言者が多数いる。洗礼者ヨハネもイエスもその一人で、いわばムハンマドの先輩だ。ヤヒヤー(ヨハネ)、イーサー(イエス)という名のムスリムも多い。なので、ヨハネ廟にはムスリムが接吻して恩寵を得ようとする(6頁上の写真)。モスクには異教徒(多くは観光客)も入れるので、キリスト教徒はそこで同じように恩寵を得る。 ウマイヤ・モスクにはミナレット(礼拝呼びかけの塔)が3本立っている。うち一つは13世紀半ば築の「イエスのミナレット」だ(6頁下の写真)。イスラームでは現世の「終末の日」があり、死者は生き返って「最後の審判」を受け、天国か地獄に来世の行き先が分かれるとされる。その直前に、イエス・キリストがこのミナレットに降臨してアンチ・キリスト(イエスを救世主と認めない者、偽預言者)と戦う、と信じられている。キリスト教の要素をイスラームが自らの枠組みの中に取り込んでいることが、ウマイヤ・モスクの造りを見てもよくわかる。 モスクの礼拝堂を出て中庭の東端に向かうと、小さな入口から狭い通廊で別の墓廟につながる。そこにはシーア派第3代イマーム、フサインの首が眠っている。ムハンマドの孫の彼は、680年にイラクのカルバラーにてウマイヤ朝軍に包囲され、非業の死を遂げた。刎ねられた首はダマスクスまで運ばれ、ここに納められたのだ。シーア派の人々は毎年フサインの命日に、その死を悼み悲嘆する儀礼を行なう。なので、このフサイン廟はイラン人などシーア派の人たちにとって、大事な参詣地の一つだが、ウマイヤ朝は仇敵なので、「敵地」のモスクに乗り込むことになる。しかし特にそこでスンナ派の人たちともめ事を起こすわけでもない。神への礼拝を捧げ、聖ヨハネとフサインの両方の廟に接吻するのである。 ウマイヤ・モスクの中庭に面した壁面には、金色と緑色を基調とした美しいモザイク画がめぐらされている。川が流れ、家と木が立ち並ぶモチーフだ。偶像厳禁のイスラームでは具象画がモスクに描かれることはまず無いが、ここでは例外的に見ることができる。この楽園図に囲まれ、大理石が敷き詰められた中庭では、家族連れや団体客がゆったりとくつろぐ。ダマスクスの夏は極度に乾燥しているお蔭で、礼拝堂の中も天然の冷房で快適この上ない。敷き詰められた絨毯の上で昼寝している人も見かける。 2001年、ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇として史上初のモスク訪問をこのウマイヤ・モスクにて行い、シリアの大ムフティー(イスラーム法最高顧問)、シャイフ・アフマド・クフターローと会談した。両宗教間の対話にふさわしい場所だ。 多数派も少数派もなく、だれでも受け入れる空間、それがウマイヤ・モスクである。長引くシリア内戦でも、幸いここはまだ無傷である。何としても守られねばならない場所である。ウマイヤ・モスクの中庭でくつろぐシーア派イラン人の巡礼団。非業の死を遂げた第3代イマーム、フサインの墓がこのモスクに隣接されている。後で気がついたのだが、左手前の女性は赤ん坊に乳を含ませている。フサイン廟に接吻するシーア派の人々。ウマイヤ・モスクの中庭に面した壁面のモザイク画。下の部分に川が流れ、家と木が描かれる。
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