5FIELDPLUS 2018 01 no.19 ラワーティヤは、アラビア語のほか、現在でも出身地の言語であるスィンド語を日常的に使用している。小売業に従事する者もいれば、不動産業に進出して、主にオマーン湾沿岸の土地を管理する者もいる。裕福な者はスール・ラワーティヤを離れ、マスカット市内に邸宅を持つようになった。さらに1970年以降の国内近代化、いわゆるオマーン・ルネッサンスにおいて、ラワーティヤは政府と良好な関係を構築し、閣僚級のポストに任命される者も輩出した。このように、民族的にも宗教的にも少数派であるが、ラワーティヤはオマーンにとって重要な役割を果たしている。「寛容」の精神のもとで生活する ラワーティヤのほかにも、さまざまな集団がオマーン国民として、あるいは一時的な滞在者として生活している。このように、国家基本法が定める以上に、多様であり、また複雑であるこの社会をうまく治めるために、オマーン政府は各種政策を実施している。オマーンに古くから暮らすアラブ系諸部族間の利害・利益調整もそのうちの一つだが、それとともに、「寛容」あるいは「宗教的寛容」という考え方の国民への普及も、見逃せない政策の一つである。例えば学校の教科書にはオマーン人が昔から寛容な精神を持って人びとと接していたことが明記されている。また毎週金曜日にはイスラームの集団礼拝が実施されるが、その場で行われる説教をまとめた書籍の中には、寛容の重要性について説く節も含まれている。 私は、2008年から2010年の2年2ヶ月の間、オマーンに暮らし、そこに住む人びとから様々な話題について意見を聞く機会に恵まれた。他者との関係について、イバード派のあるアラブ系オマーン人は、私に対し「昔からオマーンでは様々な人びとが往来して、暮らしていた。オマーンの地に様々な人がいるのは当然のことである。また宗教的には、イバード派はいくつかの教義に関してスンナ派やシーア派とは異なる立場をとる。しかしながら(我々の)教義の正しさは、最終的に神(アッラー)のみが知る、来世的な事柄である。現世における生活においては、来世のことはおいておき、互いに協力していくのが当然である」旨を述べていた。 様々な出自、異なる背景をもつ人びとが一つの社会で軋轢なく暮らすために、寛容という態度を持つことは、有効な手段の一つであるようにみえる。為政者側の努力と、そこに暮らす人びとの節度ある行動によって、現在のオマーン社会には、共存・共生のために必要な環境が整えられているといえよう。市販されている説教集に掲載された、寛容の重要性について述べた回の冒頭。寛容とはイスラームの聖典クルアーンでも求められている価値であることが説明される。スール・ラワーティヤの内部の様子。家々は密集して建てられている。宗教行事「アーシューラー」に関する横断幕から、シーア派の人びとが暮らしていることがわかる。マスカット市のマトラ・スーク(市場)の場内。ラワーティヤは、ここでインドから輸入された商品の販売に従事した。陸上で展示されている木造帆船(ダウ船)。季節風を利用して、人びとはインド洋やアラビア海を渡った。
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