FIELD PLUS No.19
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4FIELDPLUS 2018 01 no.19アラビア半島の南東部に位置するオマーン・スルタン国では、宗教や宗派、また出自や背景の異なる人びとが、互いに協力して暮らしている。テロや紛争とは表面上無縁のオマーン社会で暮らす人びとの様子に目を向けてみよう。く。オマーン社会の多様性を、宗教と民族の面から見てみよう。 オマーンへのイスラームの伝来は、西暦7世紀の預言者ムハンマドの存命時にまでさかのぼる。現在の国民は、その大半をイスラーム教徒(ムスリム)が占める。そして彼らが属するイスラームの宗派の観点からみると、オマーンでは、イスラームの二大宗派であるスンナ派、シーア派とともに、イバード派と呼ばれる宗派が勢力を有している。特にイバード派は、イスラーム世界全体からすればごく少数派の集団であるが、ここオマーンの地では、統治王族が属するなど、大きな影響力を有している。歴史的に、スンナ派、シーア派、イバード派は、それぞれ自派の正統性を主張し、他派の思想的誤りを厳しく非難してきた。またカタールやアラブ首長国連邦など他の湾岸諸国と同じように、オマーンは国内開発のために、東南アジア、南アジア、さらには東アフリカ諸国といった海外から、労働者を多く受け入れている。そうした外国人労働者の中には、ムスリムばかりではなく、キリスト教徒やヒンドゥー教徒、また仏教徒が含まれている。 オマーンの民族的な多様性について言えば、オマーンが果たした歴史的役割から読み解くことができる。近代以前、オマーンは、インド洋とペルシア湾を結ぶ交易の中継地であった。また現在の統治王朝でもあるブー・サイード朝は、19世紀に、現在のパキスタンや東アフリカに領土を有した。その結果、様々なモノとともに、域内の人がオマーンの沿岸部に往来し、また滞在した。20世紀初めの報告によれば、マスカットでは14の言語が、そこに暮らす人びとの母語として挙げられたとのことである。 1972年にオマーン政府は国籍法を制定した。そのなかでは、オマーンで生まれたことが国籍付与の条件の一つとされた。この結果、古くからオマーンの地に住むアラブ人のほかにも、ヒンディー語やバルーチ語、またスワヒリ語などを母語として日常日本に一番近いアラブの国 アラビア半島の南東部に位置するオマーン・スルタン国は、地理的に「日本に一番近いアラブの国」である。政治的混迷、またテロや紛争が日々伝えられる中東地域にあって、オマーン社会は落ち着きを維持している。またグローバル化の影響を受けつつも、オマーン人は自分たちが有する伝統的な価値観を大切にしている。そのため、安全にアラブ社会を体験できる渡航先の一つとして、オマーンは多くの外国人旅行者を惹きつけている。オマーンの多様な社会 1996年に公布・施行された同国の憲法とも言うべき「国家基本法」には、同国はアラブ・イスラームの国家であること、また公用語はアラビア語で、国教はイスラームであることなどが明記されている。とはいえ、より注意深くみると、オマーンは、アラビア語を母語とするアラブ人のみから、またイスラームを信仰する人のみから構成される均質な社会ではないことに気づ的に用いている者も、オマーン人としてまとめられることになったのである。マトラフ地区のラワーティヤ オマーンにおける宗教的あるいは民族的な多様性の一例として、ラワーティヤ(単数形はラワーティー)と呼ばれる集団を取り上げよう。彼らはオマーンの中で少数派であるシーア派に属し、その出自は――様々に語られるが――現在のパキスタンはハイデラバード周辺に求められる。彼らは18世紀の半ばには、マスカットに隣接する町マトラフにコミュニティーを形成していた。ラワーティヤの多くは、四方を壁に囲まれた地区に集住した。スール・ラワーティヤと呼ばれるこの区域は、1970年以前は、彼ら自身、彼らの従者、そしてイギリス人官憲のほかは、立ち入り禁止とされていた。その後門戸を開いた時期もあったが、2000年代に入り、再びよそ者の入場を制限するようになっている。ラワーティヤは、元々シーア派の一派であるイスマーイール派に属していたが、19世紀半ばに、その多くがイランなどで多数を占める十二イマーム派へと転向した。 ラワーティヤはマトラフで、主に小売業に従事し、インドから輸入された米や日用品を売り、オマーンからナツメヤシ等をインドなどに向けて輸出した。彼らの取り扱う商品は、オマーンに暮らす人びとの生活を支えた。1960年代半ばには、オマーン国内における内戦などを理由として、一部のラワーティヤはパキスタンへと帰還したが、多くはオマーンの地にとどまり、オマーンの国籍を取得した。オマーン──「寛容」の精神のもとで暮らす近藤洋平こんどう ようへい / AA研特任研究員オマーン内陸部の様子。青い空、こげ茶色の岩山、そして緑色のナツメヤシ園の景観は、外国人旅行者の記憶に刻まれる。オマーンイエメンオマーンサウジアラビアアラブ首長国連邦マスカット紅海地中海写真はすべて筆者撮影

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