31FIELDPLUS 2018 01 no.19る。その後、圧倒的に男性が多いという中国人移民社会の不均衡なジェンダーバランスが改善され、テレビが一般家庭に普及するようになり家庭で過ごす時間が長くなるにつれ、コピティアムは急速にその社会的意味を失った。とはいえ、今日においても人びとを有機的につなぐ場所としてコピティアムは機能している。 マレー半島に移り住んだ中国人移民とともに花開いたコピティアムではあるが、海南島を歩いてみるとコピティアムという喫茶文化そのものがそこにあったわけではないことに気づく。確かに珈琲豆は海南島を代表する農産物として近年特に力を入れて栽培されてはいる。しかし広東飲茶文化圏にある海南島では珈琲よりも茶を飲む習慣が一般的である。では海南島の何がマレー半島に持ち込まれたのだろうか。 海南島にはマレー半島のコピティアムに類似した「老ラオバーチャー爸茶」という喫茶文化がある。老爸茶は屋外の喫茶空間で、道端に置かれたテーブルを前に友人と茶を飲みながら中国将棋をしたり新聞を読んだり雑談をしたりと、午後の日差しをしのぐのにぴったりの空間として定着している。かつては年配男性ばかりが集まる寄りつきにくい場所とされたが、最近では若い人も集まる洒落た老爸茶館も増えつつある。 海南島からはコピティアムそのものではなく、老爸茶のような「飲み物を片手にゆったり過ごす」という文化が持ち込まれたと考えるほうが正しいだろう。それに加えて、後発移民としてマレー半島に渡来した海南島出身者の社会経済的立場も現在のコピティアムのあり方に影響している。福建及び広東出身者に遅れをとった海南島出身者は、イギリス植民地行政官やプラナカン(マレー人と中国人の結婚により生じた、より現地化した中国系コミュニティ)家庭のお抱えシェフとして腕をふるう者が多かった。この経験が海南島出身者による洋食に影響された「海南食文化」の創出に一役買ったようである。このようにみてくると、コピティアムは海南島出身者がマレー半島にもたらしたと人びとに捉えられてはいるが、様々な知識が混じり合って出来上がった、移民社会ならではの、ごった煮的な食文化であることがわかる。多文化社会のごった煮的食文化のおもしろさ ところで、マレー半島にはコピティアムに類似する様々な喫茶文化が民族集団ごとに存在する。インド系ムスリムの喫茶文化、ママッなどはその一例だ。ママッでは、テタレと呼ばれる泡立ちミルクティや、精製したバターであるギーを塗りながら鉄板で焼き上げるインド風クレープ、ロティ・チャナイなどが有名である。面白いことに、これらのインド系ムスリムの食文化はマレーシア人が移住するオーストラリアの都市部では、マレーシア出身華人が経営するコピティアムのメニューとして現地で人気を博している。 外に出て行く人がマレーシアの食文化を自在に切り貼りして紹介する一方で、マレーシア国内ではマレー系も楽しむことができるハラール飲茶のチェーン店などが人気を博している。最近クアラルンプールにチェーン展開しているドリーディムサムは可愛らしいインテリアで女性たちの人気を集めている。提供される点心類はハラール(イスラーム法で許されたもののこと。ここではイスラーム法上食べることが許された食材や料理のこと)なので、店のほぼ9割がマレー人女性に占められている。華人客のほとんどいない飲茶店がマレー人女性の憩いの場所として人気を集める様子は、コピティアムがハイブリッドに諸要素を切り貼りして人びとの憩いの場所になった過程を思い起こさせる。多民族国家マレーシアは、様々な文化要素を取り入れた魅力的なごった煮的食文化に溢れている。コピティアムに祀られている商売の神様(財神)もマレー風の衣装を着て、お供え物もごった煮的にたくさんの食べ物が並べられている。右からインド風クレープのロティ・チャナイ、ココナッツミルクで炊いたご飯をバナナの葉で包んだ朝ごはんの定番ナシルマ、ピーナッツソースが美味しいマレー風焼き鳥のサテ。奥には饅頭が並ぶ。マレーシアのコピティアムで談笑する男性たち。かつてコピティアムで使われたカップアンドソーサーもシンガポール国立博物館に収蔵され展示されている。店名や茶葉、珈琲豆のサプライヤーの屋号や電話番号なども印刷されていたという。ドリーディムサムでは客も店員もほとんどがマレー人だ。ドリーディムサムの店内の様子。*写真はすべて筆者撮影
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