FIELD PLUS No.19
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25FIELDPLUS 2018 01 no.19  一度目にしたら夢にまで出てきそうな表紙にこの書名…。とりあえず極めて簡潔に内容を説明しようとすれば、「サバクトビバッタの蝗こうがい害を防ぐためにモーリタニアで調査・研究を行った若手研究者の3年間の記録」として間違いはないと思うが、すると即座に「え?そもそもサバクトビバッタって何?」「蝗害って?」「モーリタニアってどこ?」と聞かれそうだ。しかし、「バッタ問題」の重要性を世間に広く知らしめようとしてきた自称「バッタ博士」は、こうした問いを投げかけてくる読者にこそ本書を届けたいのではないかとも思う。 実際、本書で言うバッタ問題、つまりサバクトビバッタというワタリバッタの一種の大発生による被害(蝗害)は甚大なもので、国連食糧農業機関の情報によると、例えば2003年から2005年にかけて北・西アフリカで大発生したサバクトビバッタによる農作物被害は25億米ドル以上にのぼる。こうした蝗害は東アフリカや西アジアなどでもしばしば発生しており、バッタ問題はまさに世界規模での対策とそれを支える緻密な調査・研究が必要な大問題と言えるのだが、その一方で、著者の言う通り、「アフリカのバッタ問題は日本の日常からかけ離れすぎている」のである。 しかし、仮にサバクトビバッタにも蝗害にも無縁の日常を過ごしている読者であっても(もちろん私もその一人であるが)、本書を一読すれば、世界的なバッタ問題の深刻さはもとより、それを引き起こす恐ろしくも興味深いサバクトビバッタの生態、その生態に迫るフィールドワークの尽きることのない面白味、そして、調査地モーリタニアの風土とそこに生きる人々の魅力を一息に感受できる。 ただし、である。こうした壮大で深刻な問題に立ち向かう一研究者の調査記録という側面は、恐らく本書の内容の半分ほどにすぎない。そして残りの半分こそが本書を凡百の「研究者自伝」とは異質のものにしている。バッタ博士の楽しくも真面目な語り研究者の本棚苅谷康太かりや こうた / AA研              バッタ研究に我が人生を捧げると誓った一人のフィールドワーカー。その3年間の記録には、尽きることのないフィールドワークの魅力と多くの若手研究者が突き当たる現実(という名の就職問題)が余すところなく綴られている。 上の小見出しは本書の帯紙にある宣伝文句だ。「科学」「冒険」「ノンフィクション」は分かるとして「就職」とはこれ如何に…。「飯を食うために社会で金を稼がなければならない」という著者の言葉通り、当然だが研究者もその仕事で食べていく必要がある。ところが、日本社会ではもう大分前から若手研究者の深刻な就職難が常態化してしまっており、博士号を取得した多くの若者の前途を閉ざし続けている。この極めて今日的で切迫した社会問題との戦い ―― 本書の残り半分はその記録である。 研究者であれば日頃から自身の研究に関する学問的な悩みは抱いているであろうが、今日の若手研究者の場合、その多くが上記のような就職の悩みも同時に抱え込んでいる。いずれも切実な悩みだが、前者は何となく「かっこいい」悩みでもあり、長年の研究生活を振り返った先達の自伝的著作などを見ると、しばしばこの悩みが前面に押し出されている。「かっこいい」のだから当然である。ところが後者についてはあまり多く語られないか、語られても結構あっさりとしているのが常だ。確かに、そもそも個人の欝々とした就活話など誰が面白がるんだ、という声も聞こえてきそうであるし、下手をすれば愚痴と怨嗟の羅列になってしまう。 しかし、本書に限ってはさにあらず。思わず笑いがこぼれる絶妙な言葉の選択、テンポのよい文の連なり、適度な自虐と自賛の配置、現場の雰囲気を余すことなく伝える写真の数々。これらが相まったところで赤裸々に吐露される著者の苦悩は、就職問題の過酷な現状を示しつつ、それでいて読者に不快感や拒否感を些かも抱かせない。それどころか、「この人、大変なんだろうけど何だかんだで結構楽しんでいるな」という心地よい推測さえ惹起する。そして、自分とバッタ問題を「抱き合わせ」で売り込もうとする様々な広報活動の顛末から、再び調査地に戻って念願であったサバクトビバッタの大群との邂逅を果たす後半部の流れによって、本来読者を欝々とさせてしまうこと請け合いであったはずの話題は、いつの間にか一人の研究者の冒険・成長譚へと転じるのである。非日常の「バッタ問題」「科学冒険就職ノンフィクション」前野ウルド浩太郎 著『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書、2017年)

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