FIELD PLUS No.19
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24FIELDPLUS 2018 01 no.19 著者は、カメルーンの東南部ドンゴ村に暮らす農耕民バクウェレと狩猟採集民バカ・ピグミーの民族間関係を「分離的共存」という概念で説明しようとした。「分離的共存」とは、互いに蔑視しながらも排除することはない、生活変容によって生業活動の内容が類似化しつつあるものの同化することのない民族間関係を表している。 まず地域の歴史資料や廃村・遺物調査から過去100年の居住史や、ドイツやフランスによる強制労働の痕跡が明らかにされる。次に、バクウェレが村から離れた森のキャンプを利用しながらジャー川で行う漁労活動が取り上げられる。たくみな技術と知識を用いて行われる漁労活動は、食料や商品として価値のある水産資源だけでなく、精神的社会的解放感をもたらし、村で放置しておくと破綻しかねない社会関係の調整弁となっている。森でバクウェレは「動物(バカ・ピグミー)の食べ物」として普段は食べない野生のヤムイモを食すことから、著者はバクウェレにとって森は人と動物の境界、民族間の境界がゆらぐ場所であると述べる。またそれぞれをゴリラにたとえる両民族の相互表象を分析し、互いに抱く負の感情が民族間の差異を維持しているという。 移住者の商業民は国際市場からの需要をうけてカカオ畑を拡大し、そこで雇用されるバカ・ピグミーはバクウェレから経済的心理的に独立しつつある。しかし、バクウェレはバカ・ピグミーの変化を受け入れず彼らを支配しようとする。バクウェレや商業民が提供する酒やタバコがバカ・ピグミーを労働へとかりたてる。土地の利権争い、貨幣経済がバカ・ピグミーの平等主義社会に与える影響についても触れられていた。最後に、著者は両者の関係を維持するものとして、商業民もまじえて行われる貨幣や嗜好品、消費財などの贈与・交換経済のあり方と物質的精神的に豊かな資源を提供する熱帯雨林について述べている。激動の森の民族誌研究者の本棚服部志帆はっとり しほ / 天理大学勢力を増す市場経済は、カメルーンの森の民たちの生業活動や民族間関係、社会構造にどのような変化をもたらすのか。歴史生態学という視座にたち、多様な切り口から変化の動態を描く。 ピグミー研究のパイオニアであるコリン・ターンブルは、互いに悪口を言い合いながらも擬制親子関係を結び、日常生活において親密にかかわっている農耕民と狩猟採集民の関係を「愛憎併存の、至極曖昧で奇妙な関係」と表した。両者の関係は、のちの研究者が相互依存の実態、歴史的動態、相互に対する表象、農耕民の「家」の論理、労働交換、婚姻、開発や自然保護の影響といった観点から論じている。多くの研究者をひきつけてきたテーマであるが、両民族のなかに入りこんでそれぞれの目線からとらえようとした研究は少ない。 本書の独自性は、自分たちだけを見てほしいというそれぞれの民族からの圧力に屈せず、両民族の調査をやり遂げた点である。もう一点は、著者がフィールドで出会った心惹かれる事象に手当たり次第につかみかかり、欲望のおもむくままに調べ、歴史生態学と民族間関係という一つの大きなストーリーとしてまとめた点である。本書をひらいたとき、評者がフィールドで垣間見た著者のフットワークの軽さと何にでも首を突っ込む野次馬根性を思い出した。著者は調査基地でバカ・ピグミーが釣りあげたばかりの魚の計測に励んでいたかと思うと、今度は「プロブレム」と言いながら足早にバクウェレの村へと立ち去り、夜遅くまで戻らない。にもかかわらず、ジャー川上流に向かう早朝出発のボートにはしっかりと乗っているではないか。生きのいい魚を前に決して素通りできない自分の欲望にまっすぐな著者の研究姿勢が本書には貫かれている。今後、どのような生きのいい魚を捕まえてどのように料理するかは著者の腕次第であるが、「分離的共存」の相対化、土地所有とジェンダーの問題、一部のバカ・ピグミーによって貯蓄された資本の行方は評者がとくに気になるところである。「分離的共存」として描く民族間関係大石高典 著『民族境界の歴史生態学――カメルーンに生きる農耕民と狩猟採集民』(京都大学学術出版会、2016年)樹上から川に落ちて溺れて死んだと思われるニシゴリラが、ぷかぷかと漁撈キャンプの前を流れてきた。拾い上げたゴリラの顔を覗きこむバクウェレの青年。(同書口絵より)野次馬根性で体当たりした歴史生態学

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