FIELD PLUS No.19
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23FIELDPLUS 2018 01 no.19手な同僚への非難が少ないことだ。本当か?と疑う人もいようが、なぜかを考えてみたい。 インドでは、娘の多い家は大変だ。結婚したら花嫁の家が花婿の家に多額の持参金を渡す習慣が定着してしまったので、市場でも、娘の多い家は総出で働いていることがある。かと思えば、数ヶ月働いては数週間仕事をしなくなる人もいる。午前中4、5時間だけ働いて、家族を養い、3人の息子・娘を中学以上まで卒業させ、たまに数週間の家族旅行に出かける人もいる。この一家のひと月の食費・家賃の合計は約3000ルピーだという。 長時間働く人が少ない要因の1つは、「市場の家賃の安さ」だ。ほぼ全員が借家暮らしで、家賃は高い家でもひと月200ルピー(350円)だという。野菜売りなら1日300~500ルピー、魚や鶏の肉売りなら400~600ルピーが手元に残るという。1日働くとひと月の家賃を稼げてしまう計算になる。そんな仕事や借家が、あなたの周りにどれくらいあるだろうか? もう1つの要因である「自営業という労働形態」は、仕事が下手な人への非難が少ない理由でもある。市場で働く人の多くは、商品の仕入れも販売も自分、つまりアルバイトもいない自営業だ。組合に2万~10万ルピーを払って売り場を借り、以後毎月30ルピーを組合に納めて店を切り盛りする。これがなぜ、あまり仕事をしない人への非難が減る理由になるのか? アルバイトや会社勤めと比べてほしい。市場のような自営業では、「組織の足を引っ張る」ことが難しいのだ。短時間しか働かず、突然店を閉めて旅行に出ても、困る同僚はいない。仲間や客との「コミュニケーション能力」は必須に思えるかもしれない。けれど、彼らはよく交渉相手を冷やかすし、無理なクレームに対抗できる。文化の違いもあるが、そもそも「雇われの身」でない彼らを解雇できる上司がいないのだから。組合は彼らに売り場を貸しているが、雇っているわけではない。物価の急な変動に弱いという難点もあるが、もし市場がスーパーマーケットになって、彼らが従業員になったら、全員に仕事があるだろうか? 彼らの多くには家族がいるから、あまり仕事をサボれば家族喧嘩になる。暇を持て余して他の店主に腐った玉ねぎを投げるなどの悪戯を始め、喧嘩になることもある。昼寝する習慣があるので、正午から夕方まで市場の売り場は閑散とする。午前中だけ働いて、夕方からは仕事以外のことで時間を過ごす人も多い。手足が不自由な人や、病気を抱えた人も働いている。新聞を読んでいる人は滅多にいない。暗算ができても読み書きができない人が大勢いる。それでも私より記憶力が良く、頭の回転の速い人がゴロゴロいる。人と社会の関わりを考える 市場も会社も小さな社会といえる。その性質を大きく捉えれば、①所属する人の生活を優先する社会、②組織の存続や発展に貢献する人が報われる社会、という2つに大別できる。コルカタの路上や市場は①に近いだろう。市場のような自営業の社会では、スーパーマーケットのような賃労働の社会に比べて、「仕事の下手な同僚」や「役立たずな自分」に苛立つことは少ない。「役に立たない人は必要ない」という津久井やまゆり園事件の被告の思考を強化したのは、②の社会観ではないかと思う。それは、組織の存続に資さない個人の所属や生存を認めない社会とも換言できる。問題は、そのような社会自体にもあるかもしれないが、そのような社会のほかに居場所を認められない人がいる状況にあるのではないだろうか。 生活世界としての路上や市場は世界中にある。ここに記したのはコルカタの一部の地域の話にすぎない。インドには農民の自殺の問題もある。都市の市場の活況が農村の疲弊と連動している可能性もあろう。私は自分では、調査の途中に偶然気がついたことを書いた気になっているが、日本での社会生活がうまく行っていないからこそ、青く見える隣の芝生を羨んで、母国への恨みを呟いているだけかもしれない。異文化のよく見える所だけを持ち込み、再現したいと夢見るのは浅はかである。 そのうえで私は、コルカタの路上と市場には、先進諸国がこれまで辿り、またこれから辿るであろう社会とは異なる未来の社会の姿が含まれていると信じている。そしてその姿は、コルカタの生活の延長にあるだけではなく、私たちがそれぞれに抱く疎外感の根源に、眠り続けているのである。市場の魚売り。早朝仕入れた鮮魚をその場でさばいてくれる。朝の市場のチャイ屋。チャイは1杯3ルピーから。ビスケットは1ルピーから。正午過ぎの魚肉市場の様子。昼寝の習慣があるので閑散とする。夕方にさしかかる市場。朝は野菜市場だが、午後からは広場になり、トランプやスポーツや世間話が始まる。子供が子供の面倒を見るので、成人する頃には子供をあやし慣れている。

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