FIELD PLUS No.19
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20FIELDPLUS 2018 01 no.19歴史研究において重要な資料となる写本は、何も図書館だけに所蔵されているわけではない。スーフィーの修行場や写字生の子孫の家などにも今も数多く私蔵されている。図書館での調査だけでは飽き足らない研究者のフィールド報告。フィールドノート 私蔵写本を求めて小倉智史 おぐら さとし / AA研の文献が約50点と最も多く、これにハディース(預言者の伝承集)、クルアーン解釈学と続く。デカン地方のナクシュバンディーヤの歴史を知るうえで貴重な史料になるのは、この修行場を主宰した歴代の導師たちの伝記である。その他、17世紀のムガル皇帝シャー・ジャハーンの玉ぎょく璽じが押されたアラビア語の法学書や、16–17世紀のクトゥブ・シャーヒー朝の3人の君主の玉璽が押されたアラビア語修辞学の写本などもあり、王朝の宮廷とスーフィーの修行場との間の写本の流通を考える上で、興味深い情報を提供してくれる。また、私蔵写本それ自体が、スーフィーの修行場においてどういった知が求められていた/いるのかを窺い知る手がかりとなる。なぜ国などが運営する公的な図書館に写本が移管されず、変わらずスーフィーの修行場に私蔵されているのかというと、それは修行場が、往時のみならず今もなお在地のムスリム社会において宗教活動の拠点として機能し、私蔵写本がスーフィーの教導を行うに当たって利用されているからに他ならない。私蔵写本調査の端緒 私が初めて私蔵の写本を調査しに行ったのは、2008年の秋のことである。卒業論文を執筆する際に読んだ、パキスタン出身の研究者の単著で、15世紀に中央アジアで興ったあるメシア主義的な思想を持つスーフィーの流派の聖者伝が紹介され、本論の中でその内容がふんだんに引用されていたのである。この流派はその後カシミールへも伝来し、16世紀には同地の社会に強い影響力を持っていた。大学院に入って修士論文を準備する中で、学界へのデビュ ー論文を書くには何としてもその聖者伝を入手しなければと思い至り、博士課程に入ったその年に、単身パキスタンに飛んだ。 私が訪れたのは、パキスタン北東部のバルティスタン地方にあるハプルーという小さな村で、K2などヒマラヤの高峰が視界に広がる。インドとの暫定国境ラインまでわずか65kmという場所ながら、この辺りは意外なほどに穏やかで、昼間に村 歴史研究には様々な手法があるが、私の場合、年代記や伝記などの文献を読んで、そこから歴史的な事実を再構成したり、当時の人々のメンタリティーをすくい上げたりすることが、主たる作業となる。南アジアの中世・近世史を専門とする私の場合、読む文献の言語はペルシア語とサンスクリットが多く、アラビア語がそれに続く。研究に必要な文献が既に校訂されていればそれに越したことはないものの、私が扱う時代・地域では、未だ校訂されておらず、写本を直接読むしかないことも多々ある。写本は主としてインド・パキスタン各地の図書館に所蔵されており、海外調査というと、多くの場合、現地の図書館を訪れて、写本を出してもらい、閲覧することに主に時間が費やされる。 一方で、公共の図書館だけではなく、スーフィーの修行場や、写字生の子孫の民家などにも、貴重な写本が所蔵されている。これまであちこちの図書館で写本調査をする傍ら、私はこういった私蔵写本の調査も行ってきた。 「スーフィー」とは、元来「羊毛を身に纏まとう人」を意味したアラビア語の単語である。転じてイスラームの内面的な信仰を重視し、修行を通じて神と人との合一状態を体験することを目指すムスリムのことを指すようになった。12世紀半ば以降、スーフィーたちは特定の修行法を継承する様々な流派を発展させ、ハーンカーやテッケなどと呼ばれる修行場を拠点として、いわゆる教団活動を営むようになっていった。どのような写本があるのか ここで、スーフィーの修行場にどういった写本が私蔵されているのか、インドはマハーラーシュトラ州のバーラープルという小さな町にある、ナクシュバンディーヤという流派の修行場を例に挙げてみよう。この修行場は17世紀の半ばに設立されたもので、同流派がデカン地方に勢力を広げるうえでの橋頭堡となった場所である。 現在この修行場には278点のアラビア語・ペルシア語写本が残っており、その内訳はイスラーム法学関連写本はこのように安置されていた。ハプルーの修行場。インドパキスタンスリナガルハプルーバーラープルニューデリーカラチインダス川ジェーラム川

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