FIELD PLUS No.19
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15FIELDPLUS 2018 01 no.19なり、言語学者たちが分析をはじめます。最終的にはデンマークの言語学者トムセンが突厥碑文の解読に成功しました。 この解読に並行して、当時、現地で蒐しゅう集しゅうされた拓本がロシアの言語学者ラドロフによって大部の図説『モンゴル遺跡地図』にまとめられ、長らく突厥碑文の研究に貢献するようになりました。解読競争では僅差でトムセンに敗れた彼でしたが、拓本を整理した上、詳細な訳註をほどこした別冊も刊行しました。彼の研究水準はきわめて高く、上掲の図説をはじめとする業績が長らく文献・歴史研究の拠り所になりました。また碑文の分布域の多くが共産圏となり、碑文そのものを現地で確認することが困難になったことも、彼の図版が一次史料として君臨し続ける一因になりました。 それがこの30年ほどで大きな変化を見せます。モンゴル人民共和国が民主化しソヴィエト連邦が崩壊したため、自由にモンゴルに渡航し、現地で碑文の拓本を採取できるようになったのです。すでに『モンゴル遺跡地図』所載の拓本は、ラドロフの解釈で読みやすいように修正されていたことが知られていましたが、新たに採集された拓本の読み直しによって、全面的に解釈を改めるべき箇所が発見されています。そのほか多くの先行研究でも、史料として依い拠きょすべき拓本や写真図版の刷新がはかられた結果、その解釈が大幅に改められています。かつての研究で既に明らかになったと思われていた事柄でも、それぞれの学説が根拠としているテキストを再検証する必要がでてきました。いまや、かつての研究者の到達点をもう一度フィールドで原点から読み直さねばならなくなったのです。フィールドで拓本を読む 現地調査では実際に碑文から拓本を採取し、テキストを読んでゆきます。拓本とは書道でもちいられる文字の複写法です。碑文の表面に和紙を貼り、霧吹きで湿らせながら碑面に密着させ、和紙が生乾きの状態になったらタンポで墨を付着させます。墨の付いた碑石表面(凸部分)に対して、刻まれた文字(凹部分)が白く浮かびあがります。このように拓本に写し取ることによって肉眼でとらえられない文字が浮かびあがることがあります。そもそも拓本は学術報告の際の客観性を高めてくれるものです。また、すでに発表済みの碑文でも今後の比較検討の材料とするため拓本をとっておきます。 この採拓作業のほか、写真撮影などで周辺の状況を記録します。実際に現地におもむいてみると、碑文そのものの形態や材質、遺跡全体の構造や遺物の残存状況、さらに遺跡をとりまく景観など、文字以外から読みとれる情報もあるからです。 例えば、拓本の再検討と写真の光学解析によって、テキストが1行分増えた碑文がありました。また、遺跡に付随する遺物の精査と採拓によって突厥文字の銘文が検出された例もあります。そして、碑文やそれが立っている遺跡が過去の遺跡の再利用であったと判明したこともありました。 そのため、古代トルコ遊牧民に前後する時代の、中央ユーラシアあるいはモンゴルの歴史のみならず、草原世界の生活様式や精神文化を把握しておかねばなりません。ことに遺跡の形態や分布状況は重要な手掛かりです。フィールドに出た瞬間、文字を読む歴史学者と、考古学者や人類学者の境界はなくなってしまいます。 以上に加えて重要なのは、遺跡の所在地です。これまで曖昧にしか記録されてこなかったものを、GPSによる位置情報で補足します。広大な草原や砂漠、入り組んだ山岳地帯ではGPS計測値なしに再び遺跡や銘文に行き着くのは困難をきわめるからです。必要であれば、周辺の牧民に聞き取りをし、目印となる地形やその地名、遺跡への経路をおさえます。そもそも文字を読むには現地にたどりつかねばなりません。共同調査を差配してくれる現地研究者や、草原の悪路や酷暑の砂漠を物ともせず粘り強く現地まで導いてくれるドライバーたちとの信頼関係こそが調査の要と言ってもよいのかも知れません。読むことで広がるフィールド こうした研究環境の変化に刺激され、新たな碑文や関連遺跡の発見ないし調査報告が、大小様々ですが、ほぼ例年のものとなっています。碑文が建立された時代背景の解釈を改めるだけの史資料が準備されつつあると見受けられます。そしてこの十数年、突厥の歴史を自国史の一部に位置付けているトルコ共和国をはじめ、カザフスタンやウズベキスタンなどトルコ語系の国々の調査隊も参入をはじめました。 文献調査の可能性がひろがったばかりではありません。考古学や人類学といった現地調査を得意とする分野でも研究の長足の進歩が見られ、諸外国と提携した遺跡の発掘調査が相継いでいるほか、物質資料の解析方法も日々更新されています。現在では遊牧という生業を人類が発明し維持してきたひとつの文明として捉え直そうという機運も学問分野を横断して一般的になってきました。フィールドがいよいよ活気づいています。古代トルコ遊牧民の埋葬遺跡:古代トルコ時代に特徴的な石製人物像と石せっ槨かく。このような遺物に突厥文字が刻まれていることがある。2013年、モンゴル国アルハンガイ県、筆者撮影。トニュクク碑文の拓本比較:第二碑文南面の読み直し。aはラドロフの修正拓による読みで、この解釈がほぼ百年間の定説であった。bが大阪大学所蔵拓本による筆者の読みで、その中段は拓本から筆者が文字をトレースしたもの。なお、突厥文字は右から左に読み書きする。最後の4文字はtürük(テュルク/トルコ)と復元でき、これが「突厥」を指す。この部分では、その4文字以外が大きく読みかえられた。採拓作業:墨入れによって鮮やかに文字が浮かびあがる。2017年、モンゴル国バヤンホンゴル県、バヤンバット撮影。大阪大学所蔵トニュクク碑文拓本:第一碑文の西面上部。1998年に採拓されたもの。●a●b

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