10FIELDPLUS 2018 01 no.19紀に入ると、エジプトはアラブ・イスラーム軍に征服された。それから長い時間をかけ、エジプトはイスラーム教の国となっていった。エジプト人はみなスンナ派イスラーム教徒? 現在、エジプトの人口の大半(ある統計によると86.8%)はスンナ派のムスリム(イスラーム教徒)である。しかし、キリスト教徒が10.2%おり、その他にシーア派ムスリムが2.9%、残りの0.1%にバハーイー教徒やユダヤ教徒などがいる。エジプトにはキリスト教徒が十人に一人はいることに驚かれるのではないだろうか。このキリスト教徒の大半はエジプト土着の教会であるコプト正教会の信徒(以下コプト)であるが、その他にもコプト・カトリック、プロテスタント系諸派の人々がいる。エジプトでもし複数のキリスト教徒に会っても、彼エジプトの宗教は? エジプトと聞いて真っ先に思い浮かぶことは、ピラミッドや砂漠、ツタンカーメンの黄金のマスクなど、古代エジプトの遺産だろうか。古代エジプトは多神教であった。古代エジプトの神々はその後どこへ行ってしまったのか、現在のエジプトの主要な宗教であるイスラームとの関係はあるのかなど、ふと疑問に思ったことはないだろうか。 エジプトの歴史は紀元前4000年頃まで遡る。その歴史の比較的新しい部分において、エジプトの宗教はめまぐるしく変化した。古代エジプトの人々が様々な神を信仰していたところに、紀元前3世紀以降のヘレニズム期、ギリシアの神々がやってきた。ローマ帝国の支配下に入ると、ローマの神々もやってきた。そして3世紀頃にはキリスト教がナイル川流域に伝播していき、5世紀頃には古代エジプトの神々が捨てられ、エジプトはキリスト教国となった。7世らが同じ宗派に属しているとは限らない。 ムスリムにも、スンナ派とシーア派がいる。現在シーア派ムスリムは弾圧されており、その姿は見えにくい。スンナ派の中でも、スーフィー教団に属する人々、ムスリム同胞団に属する人々など様々である。古代エジプトから続く慣習を大切にする人もいれば、それを「反イスラーム的」であるとして嫌がる人もいる。ある先生の表現を借りるならば、ムスリムの色である緑の濃淡は様々である。ナイル川中流域のキリスト教社会 地方におけるコプトの人々の生活をみることで、あまり知られていないエジプトの側面を紹介したい。カイロの南方からルクソールの北方あたりまでのナイル川中流域(中部エジプト)は、かつてイスラーム過激派の拠点であったこともあり、いまだ外国人の観光が制限されている地域である。同時に、この地域はエジプトのなかでもとりわけキリスト教徒の人口率が高い。筆者は2013年2月に、この地方の中心部の一つであるアスユート市(カイロ南方375km)周辺の修道院や教会を訪れる機会があった。ナイル川中流域は宗教間対立や教会襲撃なかつてイスラーム過激派が活動し、いまだ外国人観光客がなかなか入ることのできないエジプトのナイル川中流域。この地方のキリスト教徒の生活から、エジプトの別の側面が浮かび上がる。エジプト・ナイル川中流域のキリスト教社会辻 明日香つじ あすか / 川村学園女子大学、AA研共同研究員ムハッラク修道院にて、集まった人々を祝福するタドロス教皇(2013年2月)。アブー・ファナー修道院再興の立役者であり、大勢の崇敬者を集めるデミトリウス主教(左下の黒衣の人物)。砂漠のなかのアブー・ファナー修道院(マッラウィ市近郊)。十数年前までは廃墟であった。写真はすべて筆者撮影
元のページ ../index.html#12