FIELD PLUS No.19
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9FIELDPLUS 2018 01 no.19るわけではないし、聖者が眠っているわけでもない。ただあるのは、炭酸水が湧き出る泉である。この巡礼地は「ファトマの巡礼地」と呼ばれている。この「ファトマ」は、4代カリフ・アリーの妻であり預言者ムハンマドの娘、ファーティマ・アル=ズフラーの名に由来している。人々はこの巡礼地を訪問して、泉から湧き出る炭酸水を病気治癒のために飲んだり、足を浸けたりする。アレヴィーの人々はメッカ巡礼をすることはないが、スンナ派(あるいはシーア派)ムスリムがメッカ巡礼の際にメッカから巡礼土産として持ち帰る「ザムザムの水」に、この泉の水をなぞらえる。また、人々は心願成就のために羊やヤギなどの犠牲をささげ、アッラーに祈る。 トゥンジェリ県は、人口のほとんどがクルド系アレヴィーであり、彼らの母語はクルマンジ語やザザ語などの、いわゆるクルド系諸語である。アレヴィー全体では約2割ほどがクルド系である。この土地はかつてデルスィムと呼ばれ、オスマン朝時代から中央政府との間にたびたび衝突があった土地である。度重なる迫害の中で、人々はこうした人里離れた山中に巡礼地を設け、ひっそりと信仰を守ってきた。そこに見られるのは、人々の4代カリフ・アリーおよびその子孫たる預言者一族への崇敬と、何よりも、唯一絶対の神アッラーへの愛と信仰である。人々は語る。我々の信仰は、スンナ派の実践しているような形式じみたものではない。我々はモスクを持たないし、決まった時間に礼拝もしない。しかしアッラーは我々にこうした自然の恵みをお与えくださった。これこそ、アッラーのお徴であって、アッラーは我々の身近におられる、と。人々から乖離する文化協会 近年は都市化の影響で、アレヴィーの人々の宗教実践の場が、ジェメヴィと呼ばれる宗教施設に取って代わっている。ジェメヴィは、「ジェムの家」を意味するトルコ語で、ジェムはアレヴィーの人々の宗教実践の中でも重要な儀礼である。基本的には毎週木曜日の夕方に行われ、人々は預言者一族への崇敬とアッラーへの祈りを、デデの指導の下にささげる。こうしたジェメヴィは、文化協会という形で運営されていて、トルコのほとんどの都市で見ることができる。他にも、ムハッレム月の断食や婚姻、葬儀、割礼など各種の儀礼が行われる。1990年代からこうした形態のジェメヴィがトルコ各地に建設されるようになり、さまざまな文化協会がこれを運営している。一般的には、専属のデデが複数いて、宗教儀礼の指導に当たるとともに、研究部、婦人部、青年部などに分かれて組織的に活動している。筆者の住むメルスィン市にも3つのジェメヴィがあり(県全体としては9つ)、人々の信仰のよりどころとなっている。 ところが、ムハッレム月のある日、メルスィン市内にある最も大規模なジェメヴィを訪れた際に、筆者はこれまで見てきた数多くのジェメヴィとは異なった、ある種の違和感を感じた。それは、断食明けの共食が終了してからのことであった。共食の際には、100人程度の参加があったものの、共食が終了してからソフベットと呼ばれるデデの講話とそれに続くジェム儀礼には、多く見積もっても30人程度しか参加しなかった。その理由を主催者側にも複数の参加者にも尋ねたが、毎回この程度の参加者数であるとのことだ。また通常は毎週木曜日に行われるジェム儀礼は、このジェメヴィでは毎月月末の木曜日に実践され、その時の参加者も概ね30人程度、場合によっては参加者があまりに少ないため、ジェム儀礼が中止となり、デデの講話のみで終了することもしばしばであった(写真5)。 この原因を探ろうと、現地の人々に尋ねてみた。多くの人々が主張するところによれば、この文化協会がアレヴィーの信仰を信仰ではなく、一種の政治的なイデオロギー(左翼主義・無神論)として主張し、実際にそこで生活している人々の信条とは相容れないものであるということだ。たとえばジェメヴィを数回訪問して行くのを止めたある青年は、デデはドイツ移民で40年近くドイツに住みリタイヤして帰国した人物であり、アレヴィーの信仰に関してほとんど知識がなく、4代カリフ・アリーや預言者一族の崇敬がアレヴィーの信仰とは本来関係がないと講話しておきながら、その後に実践されるジェム儀礼やムハッレム月の時だけ4代カリフ・アリーや預言者一族、フサインのカルバラー殉教などを語るのは理解に苦しむと語った。また別の女性が語るところによれば、自分の故郷のデデが年に数回メルスィン市を訪問した時に、メルスィンに住む親類縁者や同郷人を集めて自宅でジェム儀礼をお願いするか、頻繁には行けないものの、メルスィン市外の別のジェメヴィに行くそうである。 ここで垣間見えるのは、実際に住み暮らす人々と、イスラーム他派との差異化を懸命に主張し新たなアレヴィー概念を創造しようとするアレヴィー系文化協会との乖離である。もちろん、全てのジェメヴィがこうした状況に陥っているわけではない。しかし、人々は自らの「本来の」信仰を守るため、こうしたジェメヴィには行かないという選択肢をとっている。これはすなわち、めまぐるしく変化する社会の中で、アレヴィーの人々がアレヴィーとして「生き抜く」一つの知恵と言えるだろう。写真5 ムハッレム月の講話。参加者は30人程度で、ほとんどが50代以上の中高年者である。彼らはかつて、共産主義革命を主張する左翼の若者であった。

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