FIELD PLUS No.19
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8FIELDPLUS 2018 01 no.19トルコトルコアンカラチョルムトゥンジェリメルスィン紅海アラビア海カスピ海黒海黒海地中海地中海トルコには、イスラームの分派の一つ、アレヴィーと呼ばれる宗教的少数派が総人口の12%にあたる約1千万人住み暮らしているといわれている。彼らはスンナ派ムスリムが多数を占める社会において、どのように「生き抜いて」きたのだろうか。調査の過程で知ってから、見つけ出すのに3日を費やした。チョルム県は、1980年にスンナ派過激派とトルコ民族右派によって、120人以上のアレヴィーの人々が殺害された土地であり、このアレヴィーの聖者廟は、こうした目立たない場所でひっそりと人々の信仰を見守ってきたのである。 この廟は「ブン・デデ廟」と呼ばれており、古くからチョルム県に住むアレヴィーの人々の中でも、知る人ぞ知る聖者廟の聖者崇敬と聖者廟参詣 まずは、写真1をご覧いただきたい。左側にスーパーの店舗があり、右側の建物はその店舗の倉庫にも見える。これは、中部アナトリア地方に位置するチョルム県の中心街にあるアレヴィーの聖者廟である。写真の通り、ここには「云しか々じかの聖者の廟」のような表札はなく、建物も至って目立たない、何の変哲もない倉庫のような場所である。筆者はこの聖者廟の存在をフィールド一つである。トルコ語で「デデ」というのは日本語の「祖父/おじいさん」に当たる。この語は、特にアレヴィー共同体においては宗教的指導者を意味する。「ブン」の語源は定かではないが、人々が語るところによれば、「うつ状態」や「気分が悪い状態」、「もやもやした状態」を意味する「ブナルム」から来ているという。人々はここを参詣することにより、上記のような状態から「解放される」と信じている。聖者ブン・デデに宿っている「聖性」の力が、アフル・バイトと呼ばれる預言者一族(4代カリフ・アリーの家系)からもたらされているとされる。ブン・デデも、アフル・バイトの血統であるとされるが、詳しい歴史的資料などは存在しない。 写真2は、この廟の内部である。中央に聖者の棺が置かれ、緑の布で覆われている。広さは3m2 ほどで、高さも1m半弱で、入ると非常に閉塞感を感じる。この狭い空間の中で、人々はアッラーに祈る。人々は少しでも、自分の「ブナルム」を和らげてくれるよう、アッラーに祈る。棺の上には、子供服が置かれている。これは、子宝に恵まれない女性や安産祈願に訪れた女性によって置かれたもので、彼女らもまた、自らの心願成就のためにこの聖者廟を訪れては、ひっそりと祈る。これらの信仰は、土着の聖者崇敬とイスラームのアフル・バイト崇敬が密接に関わり合いながら実践されてきた。ところが、イスラームのいわゆる六信五行を遵守することを宗旨とし、土着信仰や偶像崇拝を許さないスンナ派は、アレヴィーを異端視する。スンナ派は数の上でも圧倒的に多数であることから、アレヴィーの人々にはスンナ派ムスリムからたびたび迫害を受けてきた歴史がある。アッラーの「お徴しるし」としての自然崇拝と「聖者」 多数派であるスンナ派から、「本来のイスラーム」とは無関係な誤った信仰だとみなされてきた宗教的実践でも、当のアレヴィーの人々は、それこそ「本来のイスラーム」であると主張している。写真3・4は、東部アナトリアのトゥンジェリ県の山中にある巡礼地である。ここには上述のチョルム県におけるような廟が存在してい現代トルコのアレヴィー少数派として生き抜く若松大樹わかまつ ひろき / トロス大学アレヴィー・ベクタシー研究センター(トルコ)、AA研共同研究員写真1写真3 ファトマの巡礼地。炭酸水の泉があり、人々は病気治癒のため水を汲みにやってくる。写真4 ファトマの巡礼地。ここで羊やヤギを屠ったあと鉄棒に吊るして解体する。写真はすべて筆者撮影写真2

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