7グイ・ガナ語の温度語彙(だいたい「熱い」と「冷たい」に当たる単語)がもつ派生的な意味の広がり方に、他の言語では報告されていない極めて珍しい特徴が見つかる。 温度感覚の単語(熱い・冷たい)は、温度以外の感覚への意味派生をすることが世界中の言語で観察されている。特に多くの言語に確認されるのは、感情・心理・苦痛・辛味への意味派生であり(日本語の「熱い」「冷たい」や英語のhot, coldにも感情や辛味への意味派生が認められる)、それはグイ・ガナ語の「クル(高温)」と「カイ(低温)」にも観察される。例えば、「クル(高温)」は怒りの感情に派生し、「カイ(低温)」は冷静な感情に派生する。 ところが、グイ・ガナ語には、他の言語では報告されていない二つの感覚への意味派生が発見された。それは、聴覚(音色)と嗅覚(臭気)である。しかも、興味深いことには、表現の対象となる音色および臭気は限定されている。音色は雷鳴だけ、臭気は腐敗発酵臭(典型的には肉の腐敗発酵臭)だけである。温度語の「クル(高温)」と「カイ(低温)」が雷鳴と腐敗発酵臭に適用され派生される際の意味は表2に要約する通りである。 表2に示すように、「クル(高温)」と「カイ(低温)」が音色を描写する場合は、音色の高低と温度の高低が対応している。「熱い雷鳴」とは甲高い雷鳴を意味し、「冷たい雷鳴」は低い音域の雷鳴を意味する。また、「クル(高温)」と「カイ(低温)」が臭気を描写する場合は、有機物の分解臭の程度の高低が温度の高低に対応している。「熱い臭気」は腐敗臭が強烈なことを、「冷たい臭気」はほどほどの発酵臭を放つことを意味する。 グイ・ガナ語の温度語が示す、「温度→音色」の意味派生と、「温度→臭気」の意「食べる」を意味する動詞コー 「(肉を)食べる」オン 「(肉以外を)食べる」植物・昆虫表1 グイ語・ガナ語の2種類の「食べる」。雷鳴臭気表2 グイ・ガナ語の温度語の聴覚と嗅覚への意味派生(温度語が雷鳴と臭気を修飾する句の直訳と実際の意味)。食品タイプ脊椎動物の肉温度語クル「高温(である)」カイ「低温(である)」クル「高温(である)」カイ「低温(である)」味派生は、通言語的に珍しい特徴である。ここに見られる温度と音色のリンク、温度と臭気のリンクは、一体どう理解すればいいのだろうか? この問題を解く鍵はどこにあるだろうか? おそらく、(1)グイ・ガナ人にとっての温度語(「クル(高温)」と「カイ(低温)」)がもつ彼らの文化特有の意味、(2)それに影響を与えている自然環境の温度的特色、(3)雷鳴の音色とその危険度の関係、(4)肉の分解の程度、つまり発酵(美味)から腐敗(有毒)まで、を食糧獲得手段(社会的分業)狩猟(男性)採集(女性)直訳実際の意味熱い雷鳴雷の音色のピッチが高い冷たい雷鳴雷の音色のピッチが低い熱い臭気腐敗臭が甚だしい冷たい臭気発酵臭がほどほどである測る尺度としての発酵臭・腐敗臭、これら(1)から(4)が有機的に連合しているグイ・ガナ人の知識に、手がかりが見出せるだろう。 カラハリ乾燥帯における熱さは、そこに住む動植物を脅かす力を持つ危険なものだ。高温は危険性と結びつく(低温は安全と結びつく)。また、雷鳴の音色が甲高いと、近くに落雷する危険がある(雷鳴が低音だと比較的安全である)。さらに、肉の甚だしい腐敗臭はその毒性を示し危険を意味する(肉の熟れた程よい発酵臭は安全であることを意味する)。そう考えると、温度語の「クル(高温)」は「危険だ」に意味派生していると解釈できる。すると、「熱い雷鳴」は「危険な雷鳴」を、「熱い臭気」は「危険な臭気」を意味すると理解することができる。 グイ・ガナ語の文化語彙としての温度語に見られる世にも稀な意味派生パタンには、カラハリ乾燥帯の危険な熱さと折り合いをつけながら、雨季には落雷の危険に注意を払い、獲物肉の発酵・腐敗に気を配り食中毒の危険を回避する、カラハリ狩猟採集民の民族誌の断章を読み取ることができる。肉食獣が食べ残したと思われる獲物(スプリングボック)を拾う。注意深く肉の傷みを見て、ニオイを嗅いで新鮮さを確かめてから持ち帰って食べる。
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