フィールドプラス no.18
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多くの言語で基礎語彙に含まれる「食べる」や「熱い・冷たい」が、グイ・ガナ語ではユニークな体系や意味の広がりをもつ文化語彙の様相を見せる。食動作語彙と温度語彙 「食べる」のような食動作と「熱い・冷たい」のような温度感覚は、世界のどの言語でも語彙化されていそうな意味領域である。人間は世界のどこに住んでも食事をするし、温度を体感する。そして、それを描写して人に伝えるだろう。最近の語彙意味の理論的研究でも、これら二つの意味領域が注目されている。グイ・ガナ語のこれらの意味領域における語彙はどんな特徴を持っているのだろうか。二つの「食べる」とグイ・ガナの生業 最近の「食動作動詞」の調査の進歩によって、世界の言語における「食べる」の語彙化の普遍性と多様性がだんだん明らかになってきている。その成果を踏まえると、グイ・ガナ語の「食べる」の意味の語彙化猛暑の際に男性が涼を取る姿勢。この姿勢をとりながら、空気を少しずつ繰り返し飲み込み胃にためる。充分溜まったら、ゲップをする。ゲップが出ると涼しく感じる。には、類例のない珍しい特徴が観察される。 グイ・ガナ語には、一般に「食べる」をもっぱら意味する総称的な動詞はない。「食べる」を表現するときには、食べる対象となる食品の2区分(「肉」vs.「肉以外」)によって、「食べる」の単語二つ(「コー」vs.「オン」)のうちから一つを選ばなくてはならない。ここで重要なのは、二つの食動作動詞「コー」と「オン」はどちらも複合語や派生語ではなくて、単独で独立した要素だということである。つまり、「コー」にも「オン」にも食べる対象の食品(肉、植物、昆虫など)を表す要素は含まれない。ここでいう「肉」という食品タイプは、脊椎動物の肉である。動物性の食品であっても昆虫は「肉以外」の食品タイプとなる。食用昆虫や食用植物を「コー」するとは言えない。このように対象が「肉」か「肉以外」かによって「食べる」という動詞を区別する語彙化の報告は他の言語にはない。今のところカラハリ狩猟採集民の言語だけに確認される珍しい特徴のようだ。 そうすると、この珍しい特徴はどう説明できるか、が問題になる。グイ・ガナ語が、世界の言語の普遍的傾向から外れたこの語彙化パタンを発達させた背景は何か?と言い換えることもできる。ヒントは、彼らの生業の文化的パタンに求められそうだ。地下茎をおろして水分を絞り(上)、それを浴びて(左)涼を取る女性。おろしたものを口に含んで自分の体に霧状に吹きかけて横になりゲップをすると涼しく感じるという。 彼らの伝統的生業は狩猟と採集である。狩猟は脊椎動物を対象とするのに対し、採集は植物や昆虫を対象とする。狩猟に従事するのはもっぱら男性であり、一方、採集の主な担い手は女性である。この生業における食糧獲得手段の2種目には男女別という彼らの社会的分業が組み込まれている。表1に要約する通り、2種類の「食べる」(コーvs.オン)は、2区分の食品(肉vs.肉以外)に呼応し、それはさらに、生業における食糧獲得手段2種目(狩猟vs.採集)とその主な担い手の性別(男vs.女)に呼応すると言える。グイ・ガナ語の「食べる」の語彙化がもつ稀少特徴の背景には、このような狩猟採集社会の文化のパタンとのリンクが認められそうである。この意味で、グイ・ガナ語の2種類の「食べる」は、文化語彙であり、そこにはカラハリ狩猟採集民の生業活動の構造が反映していると言える。 温度語とカラハリ乾燥帯 もう一つ、基礎語彙項目に該当しながら、グイ・ガナ語においては文化語彙と認められるものとして温度語彙の意味項目「高温・低温」について触れよう。温度語彙(熱い・あたたかい・冷たい・寒い・涼しい等)の意味領域は、ごく最近になって世界の様々な言語の比較の成果が論じられるようになった。この意味領域を扱った最大のプロジェクトは、ストックホルム大学のコプチェフスカヤ=タム教授による共同研究で、そこでは系統・地域・類型の点で広い範囲を覆う50余言語の資料を使った分析結果が報告されている。それを踏まえると、6グイ・ガナ語の「食べる」と温度語彙中川 裕なかがわ ひろし / 東京外国語大学、AA研共同研究員

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