インドのアラーハーバード大学大学院留学時代の一こま。中央が町田氏。現地の著名な出版人、女流詩人とともに。(町田氏提供)写真7 辞典編纂に使っていたエディターの画面。シンプルだが構造化された記述方法だ。(撮影:髙松洋一)アラーハーバード大学で行われた故・土井久弥先生の追悼集会での一こま。スピーチをしているのが町田氏。(同氏提供) 写真8 『ヒンディー語・日本語辞典』。「←」の後に語源情報がある。例えば、「ペン」を表す「カラム」という語がアラビア語からペルシャ語経由でヒンディー語に入ってきたことも分かるようになっている。手先の技を使ったところもあります。◆辞書は構造が大事――辞書の語義を記述するにあたってはどんな工夫をされたんですか?町田 僕の場合、まず各項目を記述するための構造を決めました。言語のタイプによって辞書の情報の持ち方が違うと思うんですよ。例えば、語形変化のある言語か、ない言語かによって必要な情報が違う。その記述の構造を決めたんです。一応ヒンディー語用ではあったんですが、ある程度汎用性も考えて作りました。汎用性があるということは無駄があっていいということです。今使わなくても将来使うことになるかもしれないしね。(写真7)――辞書にはカタカナで発音表記が記されていますが、ここにはないですね。町田 あれは三省堂から締切近くになってつけてほしいと言われて、どうしたものかと考えて、綴りからカナの発音表記を自動生成するプログラムを作ったんですよ。◆語源表記のこだわり町田 僕がこだわったのは語源。ヒンディー語はペルシャ語、アラビア語、サンスクリット語、英語、ポルトガル語など、さまざまな大言語から借用しています。その情報をどう書くかという問題がありましてね。普通の辞書はペルシャ語でもローマ字転写で書いてしまうわけ。でもそれをやってしまうと、そのローマ字からペルシャ語の原語にたどり着くのが大変になってしまう。ローマ字で書かれたペルシャ語の本格的な辞書というのはないですから。もう一つ重要なのは、そもそもどの時代の発音を書こうとしているのかということ。ヒンディー語に入ってきた29ペルシャ語は中世ペルシャ語であって、今のペルシャ語とは発音が違うんです。一方、文字は保守的ですから、ペルシャ文字で書けば昔も今もそう変わらない。だから、語源を明記するときには原語の表記をそのまま使うことにしました。(写真8)――そういう辞書は他にないですよね。開いてびっくりしたんです。ペルシャ文字を使ってきちんとペルシャ語として語源を示していたので。◆例文の海を自ら作る町田 例文をどうやって集めたかという話もしましょう。とにかくいい散文がほしかった。アジアの言語では意外と韻文が多いんですが、辞書の例文としてはあまり役に立たない。文体も特殊ですし。というわけで、近現代のヒンディー語の散文の名手と言われる人たちの作品をたくさん集めました。一番多く取ったのはプレームチャンドという有名な作家の作品からです。非常に多作ですし、1936年に亡くなっていて著作権も問題ないのでね。300近くにのぼる全作品を対象に、用例を検索できるシステムを作って、随分たくさんの例文を集めました。――インターネットから用例を取ったりはしなかったんですか?町田 こういう時代ですからもちろんあるんですが、ネットに載っているようなヒンディー語はちょっと辞書に載せるような例文ではないんですよね。綴りのミスも多いですし、意外と役に立ちませんでした。ただ、プレームチャンドの時代になかったもの、例えば人工衛星といった単語の例文を使うとしたら、ネットにも頼りましたけど。――町田さんの辞書が出る前に、大部な『ヒンディー語=日本語辞典』(大修館書店、2006年)が出ていますよね。町田 古賀勝郎先生と高橋明先生の辞書ですね。やはりヒンディー語と日本語の辞書なので、一番参考になりました。ただ、方針も編纂の仕方も違うので、語義のまとめ方なんかは随分違うところがあります。――だから双方オリジナルということなんですね。そういう大型の辞書が日本に2つもあるというのはすごいことですね。町田 そう。世界中にそんな国はないんです。アメリカには一つもないですから。アメリカでは辞書は研究業績にならないですから、少なくとも大学人は辞書には手を付けないんです。それに比べるとヨーロッパでは辞書は作られていて、特にイギリスは大英帝国でインドとは当然つながりが深いし、蓄積も多くあるわけですが、現状ではヒンディー語辞典に関しては日本の方が上を行っていますから。不思議なことですね。――1980年代から2010年代までの文字と印刷と辞書の編纂の歴史を一気に駆け抜けるような刺激的なお話をどうもありがとうございました。
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