インタビュー当日、町田研究室にて。(撮影:髙松洋一) 26◆最初はタイプライターだった――定年退職を目前に控えて、これまでの研究の集大成とも言うべき辞書を出版されました。おめでとうございます。町田さんの辞書以外にも、カンナダ語、パンジャービー語、シンハラ語という3言語の辞書が同じ三省堂からシリーズで出ましたよね。いずれも大変な労作です。(写真1)町田 2001年から5年間にわたって行われた「アジア書字コーパスに基づく文字情報学の創成」(GICAS、ガイカス)という大型プロジェクトがあって、その中の一つに南アジアの言語の辞書を作る研究班がありました。その成果がようやく日の目を見たわけです。三省堂の編集者の柳百合さんには最初から参加してもらいました。――辞書作りはただでさえ大変だと思いますが、南アジアの言語の辞書となると、インド系文字の問題もありますし、随分苦労されたのではないでしょうか?町田 話せば長い物語になりますが、一番の難しさというのはいわゆるアウトプットの印刷の部分でした。1994年にAA研に移る前は(東京外国語大学の)外国語学部のヒンディー語教師でした。そこで教科書を作る立場になって、デーヴァナーガリー文字の活字が利用できなくて、困りました。――パソコンのない時代ですよね。町田 そう。タイプライターの時代です。タイプライターも結局特注ですよ。当時私の研究室には世界に一台しかないタイプライターもありました。発音表記用のタイプライター、和文タイプライター、ヒンディー語を書き表すデーヴァナーガリー文字のタイプライター2種を使って作った教科書がこの『ヒンディー語の基礎』です。(写真2)――きれいな印刷ですね。何年の本ですか?聞き手──星 泉・髙松洋一(ともにAA研) 構成──星 泉『ヒンディー語・日本語辞典』(三省堂、2016年)を刊行した町田和彦さんに、辞書プロジェクトのはじまる遥か前の段階である「印刷」という大問題への取り組みから、辞書の完成に至るまでの様々な仕事について、2017年3月某日、退職直前のお忙しい中、研究室でお話を伺いました。町田 1983年です。私はこれが本当のデスクトップ・パブリッシングだと思っていたのだけれども(笑) 渋谷の東急ハンズに行ってカッターマットやら接着剤、ピンセット、ゴミを取るためのラバークリーナー、通称「ハナクソ取り」という道具やら、必要な道具をみんな買い込んでくるの。上司だった田中敏雄先生と2ヶ月ほどかけて研究室で切り貼りをしました。――日本語とヒンディー語が混在した文章をタイプライターと切り貼りで作るのはかなり大変そうです。町田 難しいですよ。次の文章が日本語だとして、その前にヒンディー語を入れる場合、間隔を細かく計算して打つわけです。駄目だったら打ち直しです。貼る段になったらピンセットを使って計算した通りに貼っていきます。――デーヴァナーガリー文字のタイプライターは、AA研で2015年にあった「アジア諸文字のタイプライター」展で展示されていたあれですよね?(写真3)町田 そうです。実はあのタイプライターは、AA研が特注で作ったチベット文字タイプライターをもとに作られたものなんです。和文タイプライターを改造した特注品で。――なるほど、そういう経緯があったのですね。デーヴァナーガリー文字のタイプライターなのに、チベット文字で「チベット文字タイプライター」と書いたシールが貼ってありましたものね。町田 今から考えてみると、これが僕の初めてのAA研との出会い。噂を聞いて、すぐに業者を紹介してもらって、お願いしますといって作ってもらったんです。当時、何十万もしましたよ。学内で予算申請して買ってもらってね。――それが1983年のことだったんですね。インタビュー町田和彦 まちだ かずひこ / 東京外国語大学名誉教授、元AA研すべての道は辞書に通じるインド系文字の印刷から辞典編纂まで
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