水槽 2014年5月19日。京都府宇治市の宇治川鵜飼で飼育されていたウミウが産卵した。1300年以上の歴史があるとされる日本の鵜飼において、これまでウミウが産卵し、孵化したという記録はなかった。なぜ宇治川鵜飼のウミウは産卵したのか。謎を解くためのフィールドワークが始まった。宇治市2014年に鵜小屋のなかで産み落とされた三つの卵。卵は孵卵器のなかで管理される。このなかの一つが孵化した。宇治川鵜飼の鵜匠たちは前例のない状況でウミウを孵化させ、雛を育てた。写真は注射筒で給餌をしているようす。孵化直後の雛は目が開いておらず、羽毛も生えていない。ウミウは鵜匠たちに大切に育てられたせいか人間を恐れず、人間から離れようとしない。茨城県日立市十王町のウ捕り場。ウ捕り師たちは海岸壁におとりのウミウを配置し、沖を飛翔するウミウが飛来するのを待つ。宇治川鵜飼における鵜小屋の構造図(現地調査に基づき著者作図、2016年時点)。鴨川京都駅桂川木津川琵琶湖宇治川新幹線謎を解くこと 2016年10月にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典氏は、授賞式がおこなわれたストックホルムにおいて日本人学校を訪問した。そこで、小中学生たちを前に「謎を解くことが研究者の仕事。みなさんも疑問を持ち続けてほしい」と語ったという。大隅氏は日本の学術界における基礎研究の重要性を強く主張されている。その基礎研究を下支えしているのが「謎を解きたい」という動機なのであろう。解きたい謎を持ち、それを解く努力を続けることはそう簡単なことではない。しかし、謎が解けたときの感慨はひとしおである。読者の皆さんは、日々、どのような謎を持っているのだろうか?小さな謎から 2016年、わたしはひとつの小さな謎を持ちながら調査を続けていた。それは「なぜ宇治川鵜飼のウミウが産卵したのか」である。これのどこが謎なのか。まずはその背景を説明しておきたい。2014年5月19日、京都府宇治市の宇治川鵜飼で飼育されていたウミウが産卵した。日本の鵜飼は1300年以上の歴史があるとされる。しかし、鵜飼に関わる文献資料のなかには、鵜飼の現場でウ類(ウミウやカワウ)が産卵し、孵化し、成長したという記録はない。現在、日本では岐阜県岐阜市や関市、広島県三次市など10か所以上で鵜飼がおこなわれている。しかし、各地の鵜匠たちは「ウミウは人間に飼育されると卵を産まない」、「産卵は聞いたことがない」という。こうした状況のなか、宇治川鵜飼で飼育されていたウミウが産卵したのである。 ウミウが産卵した当初、各地の鵜匠たちや新聞各社は「産卵は偶然の積み重ねである」と説明した。たしかに、ウミウの産卵は宇治川の鵜匠たちが予期していた結果ではなかった。このため、産卵を「偶然」といっても間違いではない。とはいえ、たとえ偶然であったとしても、その偶然が起こりえた要因はあるはずである。そこで、わたしはどのような偶然がいかに積み重なったのか調べることにした。ウミウの産卵の謎を解こうとしたのである。謎解きの開始 現在、日本の鵜飼では茨城県日立市十王町の海岸壁で捕獲された野生のウミウが使用されている。日本各地の鵜匠たちは日立市から送られてくるウミウを自宅で飼い馴らして鵜飼で利用している。わたしは、まず十王町の捕獲場における調査をおこなった。十王町でのウ捕り作業は、毎年二24フロンティアなぜウミウは産卵したのか謎解きはフィールドワークのあとで 卯田宗平 うだ しゅうへい / 国立民族学博物館
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