カ スピ海 中東の諸国を対象に研究することは、たたかいの連続である。しかし、究極のたたかいを経てしまえば、人間図太くなるものである。かつてのフィールドでのたたかいの記憶がその後の研究者人生に与える影響は大きい。テヘラン*P18、19に掲載している写真はすべて著者撮影フェルドウスィー広場。国民的詩人フェルドウスィー(1025年没)の白い像がある。18 イランの首都テヘランへ来ると、決まってフェルドウスィー広場の近くのホテルに泊まることにしている。ここは、テヘランの地図で見るとちょうど真ん中にあたるところであるが、三つ星程度のホテルが固まってあり、両替屋がたくさんあるぐらいで、とりたてて面白いことがあるわけではない。また、専門であるイラン史研究上、何ら重要な場所であるわけでもない。しかし、私にとっては、過去の苦しい「たたかい」の記憶を呼び起こしてくれる、非常に大切な場所なのである。戦争の記憶 1988年3月、私はこのあたりのホテルにいた。当時はまだ、イラン=イラク戦争中であったが、戦争は国境付近で行われ、他には直接の影響がないかのようであった。ところが、地方を旅して、テヘラン南のバスターミナルに深夜到着し、朝を待っていると突如、ドーンという鈍い大音響が響いた。サッダーム・フサイン政権が改良したスカッド・ミサイル(後に湾岸戦争で有名になる)が、テヘランに直接降り注ぐようになったのである。ホテルに滞在中、1日数発、多い日は10発以フェルドウスィー広場黄色い乗り合いタクシーに乗るのも日々のたたかいである。当時とかわらぬサンドイッチ屋。お勧めは羊の脳みそ。上届いた。イラン側も打ち返すのだが、せいぜい1日1発ぐらいしか撃てない。テヘランは東京のように大きな町なので、ミサイルに直接当たる確率はかなり低いと思っていた。しかし、毎朝、ドーンというミサイル爆発の音で目を覚ますのは、あまり楽しいものではなかった。 同じホテルに泊まっていて知り合いになったケルマーンシャーという西部の町出身のイラン人家族は、上の方の階は危ないからといって、下の方の階に部屋を変えてもらっていた。実際には、ミサイルの破壊力は建物一つを吹き飛ばすには十分であり、あまり意味はなかったのだが。サンドイッチ屋にいたときに、ミサイルが降り始め、店員の兄ちゃんが、「怖いか、怖いか」と引きつったような表情でこちらをからかっていたのを鮮明に覚えている。 確率が低くてもあたってしまってはいけないので、テヘランを脱出することにし、市外のバスターミナルまで、バスの切符を買いに行った。毎朝4時ぐらいに出かけたのだが、皆考えることは一緒で、切符売り場には長蛇の列ができていた。ようやく、自分の番が来たときにはすでに売り切FIELDPLUS 2017 07 no.18イラクテヘランイランア ラ ビ ア 海テヘラン、フェルドウスィー広場付近近藤信彰こんどう のぶあき / AA研たたかう 3たたかいの記憶
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