フィールドプラス no.18
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インドネシアの伝統武術シラットは、音楽の伴奏とともに芸能として上演されることもあり舞踊とも関係が深い。戦いのための身体技法と芸能の思いがけない共通点について考えてみたい。バリ島*P14、15に掲載している写真はすべて著者撮影撮影前に見本を見せるタマ爺と若手のシラット演者(バリ島南部ギャニアール県、シンガパドゥ村、2012年8月)。14シラットの演武を披露するタマ爺(バリ島南部ギャニアール県、シンガパドゥ村、2012年8月)。音楽が鳴り、シラットが始まる 太鼓が鳴り、竹笛が鳴り、ゴングが鳴りはじめる。短く刈り込んだ白髪に、黒い道着、裸足のタマさんはしずかに足を広げ、腰を落とし、掌をたてて構えに入った。インドネシアの伝統武術プンチャック・シラットの演武がはじまった。タマさんは70歳、孫が3人いるおじいさんで、私は親しみをこめて「カ・タマ(タマ爺)」と呼んでいる。 竹笛は一つの旋律を何度もくりかえし、太鼓は細かいストロークを軽やかに刻み続ける。交互に繰り返される大きなゴングの重厚な響きと小さいゴングの鋭い響き。ぐるぐると循環する音楽の中でタマ爺の手足がゆっくりと前にのびたかと思うと、急に空気が動いた。太鼓奏者がすかさず反応して加速すると、合奏全体が高揚し、場の空気がぎゅっと収縮する。タマ爺の手のひらが見えない敵を鋭く打ち、右足が、つづけて左足がさっと宙を蹴った。回転して悠々と振り向き、次の構えに移ると、とめていた息を吐くように音楽も元のテンポに戻った。タマ爺の身体は静かに動き続けている。ゆったりとしているが獲物の動きをみはからう虎のように油断なく、隙がない。引退して何年も経つから、往時のような素早い動きは無理だというが、それでも一瞬の打撃には緊張感が、ゆるやかな動きには優美さがある。その動きにひきこまれ、導かれるように音楽は鳴り続けていた。 タマ爺はバリ島に住む私の師匠である。といっても私が習っているのはシラットではなくて太鼓。太鼓と笛、大小のゴング類からなるググンタンガンという音楽の演奏を実践的に学びながら調査している。タマ爺はこのググンタンガンの専門家で、バリでも屈指の太鼓奏者なのだ。太鼓を教える時のタマ爺は温和で我慢強いが、村の人々によると若い頃は短気でしょっちゅう喧嘩シンガパドゥ村していたらしい(本当はシラットを学ぶ者はみだりに喧嘩してはならない)。実際にタマ爺の技を目にして、いつも話半分に聞いていた武勇伝をようやく信じる気になった。シラットの多様な側面 プンチャック・シラットは、単にプンチャックあるいはシラットと呼ばれることもあり、インドネシアからマレーシアにかけての東南アジア島嶼部で実践されてきた伝統的な武術であり、身体修練の技法である。現在は一般に護身術と説明されることが多く、スポーツとして行われることも増えている。しかし植民地時代以前のマレー半島沿岸地域においてシラットは実戦と結びついた兵士たちの戦闘術であり、鍛錬方法であったはずである。シラットはもともと地域により多様な実践や流派があり、技法や考え方もさまざまであるが、単純な身体トレーニングを超えたある種の「知識(イルムー)」の獲得をめざす側面がある。目に見える肉体の力だけでなく、目に見えないもの、つまり精神的な、あるいは霊的な力をも鍛え、極めること。シラットはその両方の力で「敵」とたたかうための技法なのである。 その一方で、シラットは音楽を伴って演じられることも多く、芸能ともかかわりが深い。最近はあまり見かけないが、かつてバリでは、ググンタンガンとよく似た編成の音楽(使用するゴングの種類が若干異なる)でシラットを伴奏していた。タマ爺から太鼓を学ぶ中でそのことを知った私は、シラットの音楽を再現して記録に残したいと考えた。それに、話に聞くタマ爺の技も見てみたかった。そこで知人の音楽家たちを誘い、タマ爺の指導で伴奏音楽を復元して、それに合わせてシラットを披露してもらうことになったのだ。若い頃のタマ爺は遠くからシラットの音楽が聞こえてくると、シラットの伴奏に用いる太鼓とゴング類。これに竹笛や小型のシンバルが加わる(バリ島南部ギャニアール県、シンガパドゥ村、2012年8月)。FIELDPLUS 2017 07 no.18インドネシア増野亜子ましの あこ / 東京藝術大学・明治大学他非常勤講師たたかう 1たたかうことと踊ること

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