フィールドプラス no.18
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グイ・ガナでは、養育者が赤ちゃんの名前を変形し、これで赤ちゃんに繰り返し呼びかけるサオ・カムという慣習が認められる。変形には、グイ・ガナ語の本来の単語らしい形式が反映している。サオ・カムとは 例をあげよう。グイ・ガナでは、乳児を写真1 眠っている乳児を抱きかかえながらその顔を見つめるガナの母親。写真3 B(左)がサオ・カムを行っているところ。中央の乳児がT。Tを膝の上で抱えているのがM。10 私は1990年代の後半から、カラハリ砂漠の中央部に住むグイ・ガナの養育者と子ども間の相互行為について調査を行ってきた(写真1、写真2)。 カラハリ狩猟採集民の民族言語学的ドキュメンテーションをおもな目的とする本プロジェクトにおいて、私が取り組んでいる研究テーマの一つに「赤ちゃん向け発話(Infant Directed Speech、以下IDS)」がある。いっけん奇妙な研究テーマに見えるかもしれないが、私たちの音声コミュニケーションの基盤を探るために、IDSはきわめて重要な言語ジャンルである。IDSをめぐっては、これまで多くの議論が行われてきた。中でも最近注目されているのが、IDSを養育者と乳児が行う音楽的対話とみなし、その言語学的・音響学的な特徴を明らかにしようとするアプローチである。写真2 乳児を背負って移動するグイの母親。あやす際、その子の名前が時々変形される。養育者は、愉快なやり方で、この変形された名前で繰り返し乳児に呼びかける。このような実践は、グイ・ガナ語でサオ・カム(文字どおりの意味は、「あやす方法」)と呼ばれる。サオ・カムは、たいてい乳児の近しい女性親族によって行われる。たとえば以下の事例では、女性Bが生後16週齢の姪(妹の娘)であるTに向かってサオ・カムを行った(写真3、図1)。 はじめTはその母親であるMの膝の上に座っており、その顔はBとは反対の方向を向いていた。ここでBとMは、Tの呼称であるTshepoを用いてサオ・カムをおこない始めた。Tshepoは、グイ・ガナの近隣に住む農耕牧畜民ツワナの言語(ツワナ語)に由来する名前で、「信頼」あるいは「希望」を意味する。ここでBは、約14秒の間にサオ・カムを少しずつ変化させながら(たとえば、tshe:po、tshe:posi、tshe:ponye:)11回繰り返した(図1では、(1)-(11)の番号を割り振ってある)。サオ・カムの音韻構造 図1が示すように、Bは頭を繰りかえし左右に振りながら、最初の5つのサオ・カムを、きわめて規則的に繰り返した。すなわち、(1)から(5)ではtshe:po(またはその変奏としてのtshe:pho)とtshe:posiの交替というパターンが見られた。図2は、ここでのスペクトログラム(いわゆる「声紋」)の形を調べることによって、それぞれのサオ・カムを発するのに要した時間を測定したものである。図2によれば、(1)から(5)のサオ・カムを発するのにかかった時間はほぼ同じであった(平均:0.43秒、標準偏差:0.01)。これらのサオ・カム間の休止の長さもほぼ等しかった(平均:0.50秒、標準偏差:0.04)。言い換えれば、Bは(6)の直前までほぼ等しい間隔でサオ・カムを発していた。 ここでの分析には、グイ語の音韻論がそもそももつ2種類の音韻論的単位を適用するのが有効だろう。一つは2拍からなる語根的音韻単位(Rt)、もう一つは1拍からなる接辞的音韻単位(Af)だ(「拍」は、一定の時間的長さをもった音の分節単位)。グイ語の本来の語はこれらの単位の連続体からなる。Tshepoはツワナ語由来で、グイ語の音韻論グイ・ガナにおける赤ちゃん向け発話高田 明たかだ あきら / 京都大学、AA研共同研究員

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