7FIELDPLUS 2017 01 no.17そのため、色彩カード調査は全くうまくいかなかった。ヤクのイラスト完成 ウシのイラストをそのまま使っては正確な調査ができないことがわかった。あたりまえだがヤクにはヤクの調査イラストが必要なのだ。しかし、ヤクの線画を描くのは意外に難しい。ヤクは毛が長い動物なので、毛のもさもさした感じが出ないとヤクらしくない。また、ウシよりも体つきがごつごつしている。 本共同研究がスタートしてやっと、ヤク専用の調査イラストで本格的に調査をしようと思い立った。幸い、プロの漫画家の方(蔵くら西にし氏) に絵を描いていただけることになった。写真をもとに描いてもらったイラストを、数人のチベット人に見せてヤクにみえるかを念入りにチェックした。「もっと顔が太い」、「頭の形が違う」、「毛が少なすぎる」などのコメントをもらい、ヤクの調査イラストが完成するまでに何往復かのやりとりをした。チベットの人たちのヤクへの思い入れの強さを感じた。できあがったイラストを用いてさらに調査を行い、修正や追加を加えたのが図1、図2である。ヤクの「名前」 これらのイラストのような外貌の表現の他に、年齢、雌雄、群れの中での役割(荷運び用、乳搾り用、種つけ用など)、性格(おとなしい、くいしんぼう、すぐ逃げる、頑固など)を表す語彙も存在する。そして、これらの複数の特徴を組み合わせてヤクを呼び分ける。これまでヤクの「名前」という表現をしてきたが、正確にいうと「名前」ではない。ヤクには人間や犬猫などのペットのような名前(=固有名詞。ハナとかコロとか)はつけられない。 日常生活の中でのヤクの呼称を観察していると、場面に応じて呼称が違っていることに気づく。例えば、写真1の仔ヤクを呼ぶ時も、場面によって呼称が異なる。数人の女性が乳搾りをしている場面でこの仔ヤクを連れてきてほしいという場合、「カ・ト」(カ=体が黒くて顔が白い、ト=角なし)と短い名前で呼ばれる。実際に群れの中にカ・トの特徴をもったヤクが複数いたとしても、その現場にいる人にはどのヤクをさしているかだいたい見当がつく。しかし、この仔ヤクが群れからはぐれてしまった場合などは、「ウィル・チャ・ト・チョンウォ」(ウィル=1歳の仔ヤク、チャ=まだら模様、ト=角なし、チョンウォ=小さい)といった長い名前で呼ばれる。 ヤクがはぐれてしまった時にはそれを探しに行かなくてはいけない。どれがいなくなったのかを細かく特定する必要があるため、複数の特徴を組み合わせて表現しなければならない。このように、ヤクの個体を特定する必要があるかないかによって呼称は異なる。 さらに、年齢ごとに細かく呼び分けがあるうえ、仔ヤクの時には模様や角の形などの特徴がはっきり現れておらず、成長するにつれてそれらの外貌が変化していくため呼称も変わってくる。 このようにヤクの呼称は、場面に応じて、また年々変わっていく年齢や役割、外貌に応じて変わるということが調査でわかってきた。ヤクの呼称研究への反響と今後 ヤクのさまざまな呼称や複数の特徴を組み合わせる呼称、場面による呼称の違いについて国際学会や国内研究会で発表を行い、雑誌の記事としてもまとめた。ヤクの呼称に関する研究成果には様々な分野の研究者から想像以上の反響があった。調査地の牧畜地域で教員をしているチベット人の友人からは「うちのヤクにこんな研究価値があるとは思ってもみなかった」という感想をもらった。ヤクがチベット人にとって大変親しみのある存在であるにもかかわらず、チベット語におけるヤクの呼称に関する包括的な研究がこれまでなかったこと、わかりやすいイラストを提示したことがその大きな理由のようだ。 国際学会では、チベット人子弟のための幼稚園を経営している人物にも出会った。彼は「都会に住むチベット人の子供たちがヤクの呼称を学ぶための絵本をつくったらどうか」と提案してくれた。ヤクの絵本の計画は彼の協力のもとで現在進行中である。ヤクをはじめとした家畜の呼称は、プロジェクトの成果となる辞典の一部として出版を予定している。この研究がチベットの教育や研究に役立てられ、また、他の地域の家畜の語彙研究の一助となることを願っている。写真3 手前がつながれたヤク、奥が放牧された羊の群れ。写真4 ヤクに乗り、ヤクを追う。※写真はすべて筆者撮影。写真1 顔の白い角なしの仔ヤク。写真2 一面に広がるヤクと羊の群れ。牧畜民はこれら全てを識別できる!
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