6FIELDPLUS 2017 01 no.17なみに、「ヤク(yak)」という言葉は日本語や英語ではこの動物の総称として用いられているが、チベット語では「性成熟した雄のヤク」のみを指す。チベット人たちはこのような年齢や雌雄の他、毛の色、体の模様、角の形、体の大きさ、群れの中での役割、性格でヤクを呼び分けている。私はチベット語の文法研究をするかたわら、10年ほど前からヤクを含めた家畜がどのように呼び分けられているのかに興味をもち、試行錯誤しながら語彙を集めてきた。そんなヤクの呼称について、研究の顛末と今後の展望をまじえて紹介したい。 ヤクという動物をご存じだろうか? 日本では飼育している動物園も限られており実際に見たことがある人は多くはないかもしれない。ジブリのアニメや、「牧場物語」というゲームをとおしてその存在を知ったという人も少なくないだろう。 ヤクは3,000メートル以上の高地に生息する長毛のウシで、チベット高原をはじめヒマラヤ地域で主にみられる。チベットの牧畜民の生活はヤクの乳搾りからはじまり、放牧、ミルクを用いたヨーグルト、チーズ、バター作り、夕方の乳搾りと、その一日はヤクとともにあるといってもよい。ち民俗語彙としてのヤク ヤクや馬、羊などの家畜を呼び分ける語彙は、チベットの民俗語彙といってよい。民俗語彙とは、その地域の文化に深く関係し、細かい分化がみられる語彙のことである。日本語の出世魚や、エスキモー語の雪に関する語彙などが有名な例である。牧畜が重要な生業であるチベットで家畜の語彙が発達するのは当然ではあるが、これらの語彙を体系的に扱った研究はこれまでなかった。 当初は、文法書の一項目として収録する目的であったため、私自身そこまで本格的な調査をするつもりもなかった。草原の牧畜民家庭を訪れ、ヤク一頭ずつの写真を撮って現像し、「このヤクの名前はなんというのか?」と聞きながら記録していった。写真に撮ることができなかったものもあるが、他にどんな種類があるのかを聞いてだいたいの体系を把握することができた。チベットの人たちが、まるで人間の顔を見分けるように、ヤクを瞬時に識別するのは実に驚きだ。今までまったく区別がつかなかったヤクに名前があることがわかると家畜の分類が面白くなってきて、馬、羊、山羊、ラクダの名称も集めた。アフリカのウシ研究を参考にしたものの そのうちに、ウシに関する語彙については東アフリカで研究が進んでいることを知り、関係の本を手にした。そこにはウシの模様や角つのの形を詳細に描き分けたイラストが並べられていた。ヤクとウシは見た目こそだいぶ違うが、このイラストを使ってヤクの調査もできるだろうと思っていた。しかし、それは甘い考えだった。実際には、模様も角の形もヤクとは異なるものがあり、「こんなヤクはいない」と言われることが多かった。 ちなみに、アフリカのウシ研究では、毛色を特定するために、色彩カード(100色程度の色見本のカード)を用いた調査が行われており、チベットでもこれを試したことがある。しかしながら、たとえば、黄土色のヤクの毛色を色彩カードの中から選んでもらうと、黄土色に近い色ではなく原色の黄色を選ぶ。つまり、チベット語ではヤクの黄土色の毛色を呼ぶ際に「黄色」と同じ語彙を用いるため、実際の色ではなく言葉にひきずられてカードを選んでしまうのだ。チベットの牧畜民はヤクのミルク、肉を飲食し、毛をテントの材料として利用しながら生活してきた。そんな大事な家畜であるヤク一頭一頭を呼び分けるために、彼らはたくさんの語彙をもっている。ヤクの名は。海老原志穂えびはら しほ / AA研ジュニア・フェロー、AA研共同研究員図1 ヤクの体の模様による呼称(画:蔵西)。ヤクの呼称の詳しい解説は雑誌『SERNYA(セルニャ)』vol.3をご覧いただきたい(PROFILEページの補遺参照)。図2 ヤクの角の有無、形状による呼称(画:蔵西)。ンガガル白い尻尾ソッカル白い肩トッカル白い額スッカル白い足色-ラン角ありの 〜色のヤク色-ト角なしの 〜色のヤクラチャクまたはライ片方の角が折れているラニャ前方に寝ている上向きや下向きの角トル短い角ラムズクまっすぐな角ラゴル内向きに曲がった角ラヨン片側に曲がった角ラタンカン左右で長さの違う角ラナル水平に伸びた角カラン白い顔ドンガル白い鼻筋ズガル鼻筋の一部に白い点カラン・ニュクナク白い顔で目の周りが黒いロンカル白い腹
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