3FIELDPLUS 2017 01 no.17シガツェゴルムドツェコ県四川省雲南省チベット自治区新疆ウイグル自治区中華人民共和国ネパールインドミャンマーブータン青海省甘粛省ラサチベット人居住域西寧成都 黄河や長江といった大河の源流域にあたる草原地帯で長いあいだ牧畜生活を送ってきたチベットの牧畜民は今、急激な時代の変化にさらされている。伝統的な放牧が大河の下流域の水害等の一因となっているとみなされたため、環境保護と称し、牧畜民を草原から立ち退かせ、町へと移住させる政策が、十年以上にわたって進められてきたのだ。現在では、草原で牧畜を続けている牧畜民は激減し、多くの人々が土地や家畜を手放して近隣の町に移住している。 牧畜をやめることは、牧畜という生業とともに形成されてきた文化的な基盤が大きく揺らぐことを意味する。牧畜民にとってみれば、生きる拠り所としてきた文化を失うに等しい。 その状況を見て、今こそ牧畜民の伝統文化を記録すべきだと考えた私たちは、2014年に共同研究を立ち上げ、チベット牧畜文化辞典を作ることを目標に調査・研究を進めている。メンバーの専門分野は言語学、人類学、宗教学、牧ぼく野や生態学、文学と様々で、日本人とチベット人の研究者からなる混成チームだ。 調査を続けるうちに、一つ一つの単語の向こう側にある豊かな文化的背景が立ち上がってきた。物の名前にはそれぞれ名付けられた理由があり、そこには人と家畜の付き合い方や自然環境の見方、手仕事の知恵、技術の継承、宗教的な意味などが驚くほどみっしりと組み込まれている。今は辞典を作るため、その重層的な意味の世界をどう記述しようかと皆で知恵を絞っているところだ。 私たちはまた、調査中に知り合った牧畜民や元牧畜民が、大きな社会変化の波に揉まれながらも決してへこたれず、利他の精神でよりよく生きようと試行錯誤する姿に幾度となく感動し、共感を覚えた。 この特集では、そんな私たちが中国青海省黄南チベット族自治州ツェコ県で実施しているフィールドワークの一端を紹介するとともに、変わりゆく牧畜文化の「今」を記録することの意味についてお伝えしたい。この特集は、AA研共同利用・共同研究課題「“人間―家畜―環境をめぐるミクロ連環系の科学”の構築 ~青海チベットにおける牧畜語彙収集からのアプローチ」、および科研費基盤研究B「チベット牧畜民の生活知の研究とそれに基づく牧畜マルチメディア辞典の編纂」(課題番号15H03203)の研究成果の一部です。責任編集 星 泉民の「今」を記録する
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