28FIELDPLUS 2017 01 no.17フロンティアエジプト西部砂漠のオアシス村研究をめぐる「出会い」加藤 博 かとう ひろし / 一橋大学名誉教授、AA研フェロー 最近、私は首都カイロから車で10時間、エジプト西部砂漠の真ん中にあるオアシス村を調査している。限りある地下水に頼って生活している村である。多くの「出会い」があり、この村での調査を始めた。その経緯を紹介する。多角的歴史叙述を目指して 現在、私は現代を研究テーマとすることが多いが、自身を歴史家だと思っている。歴史研究の醍醐味は、一つの文書、一つの文章、さらには一つの言葉を窓にして、そこから長い歴史や広い世界を見渡すことである。その作業は、本来の意味での「資料批判」である。歴史研究の王道は、一つの種類の資料に沈潜することである。しかし、一つの種類の資料にこだわり、他の資料で「批判」しない限り、その資料の価値は評価できない。ここでの「批判」とは、個々の写本や文書の校訂に付随する手続きではなく、当該資料そのものの価値を評価するための手続きである。 私のこれまでの歴史研究とは、今振り返ってみれば、この「資料批判」の繰り返しであった。一つの事実・事件を異なる複数の種類の資料を使って多角的に見る。こうした考えがいつ浮かんだのかは定かでないが、結果として、私の資料遍歴は歴史書から始まり、法令、未刊行の歴史文書、聞き取り、フィールド調査、統計、そして地理情報へと移っていった。この遍歴には、移り気で面白そうなことにすぐ手をだす私の性格も大いに関係している。 しかし、かといって、自由に、勝手気ままに研究テーマや資料を選んできたというわけではない。新しい研究テーマや資料への関心には、必ず新しい「出会い」があった。出会いは、どこにでも転がっていた。しかし、何よりも印象深く、研究への動機となってきたのは、ひととの出会いであった。そうした出会いが新しいテーマの研究へと導き、それが新たな資料へと向かわせた。 こうした経歴から現在の私は、「真実」――「事実」とは言わない。そうすれば、歴史を否定するからである――には到達できないとしても、「真実」に近づくためにはどのような手段も使ってみるべきだと考えるようになっている。もちろん、研究テーマには、それにふさわしい種類の資料はある。しかし、どの資料も目的があって残されたのであり、目的がある限り、そこには多少なりとも偏った見方が含まれている。それを、「うそ」があると言い換えてもよいであろう。 そして、一つの種類の資料のなかにとどまる限り、「うそ」は見抜けない。こうした嗜好のためか、私のお気に入りのテーマは、空間的には「中心」から遠く離れた「周縁」であり、社会集団的には「マイノリティ」の人びとである。政治の中心から遠い人びとの多くは公的な場で自分たちを表現するための手段をもたず、それゆえに、彼らラシュダ村の過去(1931年)と現在(2015年)。旧市街からほぼ同じ角度で撮った写真。右下が旧市街、左上が新市街。ラシュダ村の成長。エジプト中央統計局との合同世帯調査、それに付随したフィールド調査に基づいて作成した新市街のデジタル地図。新市街の目抜き通りの一つ。文書と村の有力者からの聞き取りによって復元された旧市街の街区(三次元地図)。ナイル川カイロアブー・スィネータ村ラシュダ村60km0エ ジ プ トシワ・オアシスバハリヤ・オアシスファラフラ・オアシスダハラ・オアシスハルガ・オアシススエズ湾ナセル湖
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