FIELD PLUS No.17
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25FIELDPLUS 2017 01 no.17  シュリーマン(1822−90年)が少年時代に読んだホメロスの『イリアス』を史実と固く信じてトロイア発見を夢見続け、ついに今のトルコの地で考古学史上に残る発掘をなしとげたことは、誰もが知っているだろう。今日「トロイア遺跡」は世界で最も有名な遺跡として、ユネスコの世界遺産に登録されている。しかし本書をひも解けば、彼が発掘した遺跡がトロイアであったという「定説」が、いかにあやふやなものであるのかと、衝撃を受けるに違いない。 本書の著者は、アンカラ大学に留学し、40年以上にわたってトルコ各地で発掘に携わってきたわが国のアナトリア考古学の第一人者である。著者はトルコのシンポジウムで、かつて共に学んだ旧友オメールと久しぶりに再会する。彼はシュリーマンが発掘したヒサルルック(「城塞のある場所」を意味する現地の地名)遺跡の出土遺物を管理するチャナックカレ博物館の学芸員になっていた。遺跡を案内されながら、オメールのもらした言葉をきっかけに、著者の疑問は膨らんでいく。ヒサルルック遺跡がトロイアであるとは考古学的に証明されていないのではないかと。 本書の圧巻は、ヒサルルック遺跡=トロイアという定説には、先人たちの努力にかかわらず、決定的な考古学的根拠がないことを、著者のフィールドでの発掘経験に基づいて解き明かしていく過程だろう。ヒサルルック遺跡がトロイア戦争の舞台であったならば戦争の結果生じたはずの凄惨な火災の痕跡も、激しい戦闘で残されたはずの大量の武器も人骨も、未だまったくと言ってよいほど確認されていないのだ。定説をフィールドから問い直す研究者の本棚髙松洋一たかまつ よういち / AA研              シュリーマンが発掘した遺跡がトロイアだという定説には、果たして考古学的に決定的な根拠があるのだろうか?フィールドで長年の経験を積んだ著者による、考古学とは、研究とはいかにあるべきかを教えてくれる好著。 近年の研究は、シュリーマンの自伝『古代への情熱』が事実を捏造、改かいざん竄していたことを明らかにしている。著者もまた、彼がひたすら遺物を追い求め、層序、すなわち文化がどのように堆積しているのかという考古学の基本を理解せず、ヒサルルックを掘り進めていた点に関しては、「素人の域を出ていたといえない」と容赦ない。しかし『古代への情熱』の愛読者でもあった著者は、シュリーマンの、ヒサルルックこそトロイアであるという仮説に基づいて、確固として発掘に邁進した姿勢には、一貫して敬意を払うことを忘れない。研究で重要なのは、何よりも自分なりの仮説をもって対象に臨むことである。とは言え仮説に囚われるあまり、自分に都合の良いデータのみに目を向けてしまうことの危険性も、著者は自戒をこめつつ語っている。 もし著者にヒサルルック遺跡を調査する機会が与えられれば、シュリーマンらが掘りつくし、かき出した後の膨大な排土を丁寧にフルイにかけてみたいと言う。うち捨てられてきた排土の中にこそ、ヒサルルックの正体を明らかにする資料が発見されるかもしれないのだ。 それにしても考古学の発掘は気の遠くなるような作業である。同じトルコで調査しながらも紙と鉛筆さえあれば研究できる私のような歴史研究者には、まず現場の用地買収から始まるというだけでも驚きだ。一シーズン2ヶ月で発掘される遺物の数は何十万点にものぼると言う。それをひたすら整理、保管するのであるから、とても研究者が一人でやりおおせる仕事ではない。 ときおり挟まれる風景描写や現地の人々との交流のエピソードも、写真家の兄・大村次郷氏の手になる美しい写真とあいまって、本書を魅力的なものにしている。トルコを知っていると思わず「あるある」と膝を打ちたくなるくだりに何度も出くわす。村人たちは墳墓には必ず黄金が眠っている、だから考古学者は遺跡を調べているのだと信じている。私も留学中、地方を旅行するたびに宝探しと疑われ、初対面のトルコ人からいきなり「日本から黄金にしか反応しない金属探知器をぜひ輸入したい」と相談されて閉口したものである。 終章の最後では、旧友オメールの突然の死と彼の墓参の思い出が、淡々とした筆致で語られて、本書が追悼の書でもあったことに気づかされる。 本書はアナトリア考古学の一般向け図書であるが、先入観をもたずに定説に向き合う著者の真摯な姿勢は、分野の違いを越えて読者の心を打つであろう。考古学やアナトリアの歴史に興味のある人はもちろん、研究はいかにあるべきかを考えたい人にも是非一読をお勧めしたい。シュリーマンが発掘した遺跡はトロイアだったのか考古学とは、研究とはいかにあるべきか大村幸弘 著『トロイアの真実──アナトリアの発掘現場からシュリーマンの実像を踏査する』(山川出版社、2014年)  中国が多民族国家であり、多数の「少数民族」から構成されていることは、どこまで理解されているだろうか。もちろん、その中心に漢族の政治・経済におけるパワーがあることはたしかだが、本書は、脇役とされがちな少数民族の立場に焦点を当てて、各民族集団と国家(あるいは中国共産党)が対峙する姿を描き出そうとする野心的な論文集だ。 本書は、チベット族にかんする論文3本、ムスリム関連(回族・ウイグル族)4本、モンゴル族をあつかう論文が2本で構成される。これらの民族のおもな居住地は中国全体から見れば「西部」であり、開発が進んだ沿岸部とは異なり開発途上の地域である。書中で分析される「チベットにおける農奴解放」という言説が内包する漢族の優越感なども、このことを背景として読まなければならないだろう。 国家(党)との関係・民族運動・教育など、各論があつかうテーマは多様であるため様々な読み方ができる。歴史学を専門とする評者は、そこに描かれた宗教の姿に大きな関心を持った。とりわけチベット族・ウイグル族に対する宗教の影響力は顕著で、今日の彼らを取り巻く不安定な状況(民族運動、取り締まり・弾圧)の直接の原因ともなっているからだ。いうまでもなく、現代中国において宗教にかかわることは国家の管理を受ける。それは歴史の中にも大きな跡を残し、たとえば1957年以降の反右派闘争、またその後の文化大革命の弾圧の中に殉じた回族宗教者の人生はそれを代弁するだろう。ただし、本書は少数民族が受ける抑圧のみを強調するのではない。むしろ、彼らのポジティヴな営みを描こうとする点に特徴がある。具体的な事例として、おもに回族のムスリム女性が通う学校である「女学」の存在や、ボン教(チベット族)における僧俗の境界を越える活動などは、現代中国における宗教実践の可能性を物語っている。民族から考える中国の実像研究者の本棚野田 仁のだ じん / AA研              激動の時代である現代中国を生きる各民族の経験から、中国という国家の枠組み、少数民族と国家の関係を問い直す。 少数派である各民族は中国において周縁化された存在であり、さらに本書が示すように、幾重もの周縁化を見て取ることができる。たとえばチベット族の内のボン教徒は中国全体およびチベット族(あるいはチベット自治区)の双方の中心から離れている。また回族はそもそも全国に散らばっており民族としての中核を持ちえないとも言える。 周縁に置かれた少数民族の視点から中国を論ずるとき、その視線は厳しいものにならざるをえない。編者らが冒頭で明示したように、批判的な検討を旨とするところに本書の大きな意義がある。その流れの中に、国家の管理からの逸脱や対抗手段への注目がある。例として、全国に分散する回族が、地方による国家管理の強弱の違いを利用し、宗教実践を行いやすい環境を求めて移動する方法を挙げておきたい。ここに収められたモンゴル族の2つの例が示すように、少数民族に対する国家統合の推進の歴史とその民族社会への影響は疑うべくもないが、統合のヴェクトルに対峙する民族の姿もまた真であることを本書の事例は伝える。もっとも鮮烈なかたちはチベット族の焼身自殺であろうし、ウイグル族についての「面従腹背」という指摘も注目に値するだろう。 地理的周縁性は、越境を呼ぶ。少数民族は国外にも移動し、本書は彼らにも積極的に目を配っている。なかでも在トルコのウイグル宗教指導者に対する調査は非常に興味深い。もちろん、チベットについてはインドに拠点を置く「亡命政府」を考えねばならないし、内外モンゴルの紐帯も本書のテーマの一つになる。 学術論文として書かれた各章はそれほど読みやすいわけではなく、むしろ、現代中国の民族政策下における実態を示す専門的な著作と呼ぶべきものだが、それでも、それぞれの著者が実践したフィールドワークの成果は、なにより各民族の語りを強く伝えている。現代中国の「周縁」を生きる人々の肉声に触れる大きなチャンスとして一読をすすめたい。民族と宗教「周縁」から見る澤井充生・奈良雅史 編『「周縁」を生きる少数民族──現代中国の国民統合をめぐるポリティクス』(勉誠出版、2015年)

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