長距離道における調査方法の紆余曲折土井清美どい きよみ / 東京大学学術研究員徒歩巡礼が人気を博しているスペインの「サンティアゴへの道」は、歩くこと、旅することを考えるのに適したフィールドである。総延長900kmに及ぶこのフィールドをいかに調査するか。試行錯誤して出した解はいたってシンプルだ。歩きたいから歩く人の増加――スペイン サンティアゴ徒歩巡礼 フランスとスペインの国境付近から大西洋近くまであるこの道は、歴史的にはカトリックの聖地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路として知られている。20世紀後半より、必ずしも宗教的な動機からではなくこの道の全部または一部を歩いてサンティアゴを目指す人々が増加している。空路も道路も整備された今日、「歩いて旅すること」の意味合いは、徒歩が必然的な旅行手段だった時代とは全く異なる。もっと便利な移動手段があるのに、余暇を使って歩く人々とその世界について、フィールドワークをもとに考えるのが、私がやっていることだ。 実際のところ、信仰があろうとなかろうと(仙台から大阪までに相当する距離を)何週間も歩き続けるのはきつい。そうなれば当然のように次のような疑問が生じるだろう。なぜあえて歩く人が増えたのか。これまで、近代化への抵抗、キリスト教とは違う新しい宗教運動(ニューエイジ運動)の興隆、行政や観光産業による誘致戦略など、多様な説明がされてきた。どうやら、何か大きな社会変化の影響で「サンティアゴへの道」を歩く人の数が増加しているらしい。歩く調査での試行錯誤 しかし、いざ私が現地を歩き始めると、近代というものに抵抗する姿も、ニューエイジ運動に勤いそしむ姿も、誘致活動の罠に引っかかっている姿もほとんど観察できなかった。目に入ってきたのは、今晩の宿を確保するために猛烈なスピードで歩く人、自分のフィールドを地図でどう説明する? 研究者の数だけフィールドワークのやり方があると言われるが、「場所との関わり方」で言うなら、多くは二つに分かれるだろう。一つは、特定の町や村に居を構えて、そこでの人々の日常に入り込むスタイル。もう一つは、研究対象の活動に合わせて場所を移動するスタイルだ。前者のフィールドワーカーは、研究発表などで自分の調査地を示す時、ここです、と拡大地図の一部を小さく丸で囲む。後者のフィールドワーカーは、(地図を出さないことが多いけれども、出す際には)そこに一つまたは複数のドットをおく。 私の場合はその両方とも違っていて、たいていは「ここから…ここまでです」とイベリア半島北部を右から左へたどっていく。なぜなら、私の主なフィールドは道だからだ。道は道でも徒歩道なので、発表では毎度、地図上をにょろにょろとなぞることになる。潰れた足のマメの手当てをしながらまた歩き出す人、こっそりとバスに乗って距離を稼ぐ人、道中で出会った恋人同士でサンティアゴへは行かずに新しく共同生活を始めようとする人などの姿であった。 当初、宗教的な旅行に関する勉強をしてからフィールドに乗り込んだ私だったが、現場に身を置くにつれ、いわゆる「聖地巡礼」よりも、歩くことや旅すること、そしてそうした場所との関わり方や思考のあり方が中心的な研究テーマとなっていった。 もともと私は脚力に自信はあったが、数か月分の生活道具やノートパソコンなどの調査道具を背負ってもなお毎日コンスタントに何十キロも歩けるほど体力があるわけではない。旅程の決まっているグループに随行した時には数日で体力が尽き、おいて行かれる羽目に。他方で、時期と場所によっては何日も歩く人と会わない日があった。調査対象がいないのに歩くのは意味がなかろうと、見かけた時だけ歩くこともやってみた。すると、次々現れる初対面の人々とでは形式的なこと以上の話は進まなかったうえ、人との出会いに応じて休んだり歩いたりを繰り返すと、私自身の調子が乱れてスタミナが続かなかった。一つの宿に逗留してやって来る巡礼者に対面インタビューを試みるも、迷惑がられているのがよく伝わってきた。こうした紆余曲折の末、似たペースで歩く巡礼者たちと歩き続け、共に料理を作り一緒に飲み食べ、隣のベッドで寝、足にできたマメや寝不足を自慢し合うことを繰り返すという方法でしか、彼らの日常や出来事の自然な生起を捉えることはできないのだということを、私は学んだ。あるく 318FIELDPLUS 2017 01 no.17午前中に歩き午後は宿の周辺で休む。みな西を目指して歩くので太陽を背に自分の影を見ながら歩くことになる。フランススペインポルトガルサンティアゴへの道サンティアゴ・デ・コンポステラリスボンフィニステレサン・ジャン・ピエ・ド・ポーマドリード
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