FIELD PLUS No.17
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17FIELDPLUS 2017 01 no.17きに明るく生きているのです」というナレーションがかぶせられるのだろうか。そう、「アフリカ」について語るときの定番のステレオタイプである。いや、それがすべて嘘だと言うつもりもないし、罪のない印象に目くじらを立てるのも野暮なのかもしれない。けれども、こと「アフリカ」についてはこの手の「悪意のない」ステレオタイプが横行していることも事実である(ケニア出身の現代作家ワイナイナ(Binyavanga Wainaina)はこれに辟易して How to Write about Africa という皮肉の利いた短編を書いている)。それより何より、できあいのステレオタイプですべてが説明できてしまえるほど世界は単純でも退屈でもないはずである。そうなればこそのフィールドワークの出番だし、これまた使い古された言い方で気恥ずかしいが、余所者が身勝手にイメージしてしまうステレオタイプをひっくり返すことこそが、フィールドワークの醍醐味というものだと思う。身近な所作としての「頭に物を載せて運ぶ」 さて、フィールドにいて、この「姿勢のよい闊歩」と何らかの関連性があるのではないかと思わせる光景に、「頭に物を載せて運ぶ」という所作がある。言うまでもなくこの所作が成立するためには、頭に載せている物から手を離しても落とさないようにバランスが取れていなくてはならないわけで、そのためには背筋を伸ばした「姿勢のよさ」が前提になる。これまたアフリカに関するステレオタイプの一部としてイメージされるこの所作は、しかし田舎であれ、都会であれ、実際に日常生活でよく目にするものである。例えば、市場などでママたちが買った物や売り物を頭に載せて運んでいるのは日常的な光景であるし、幹線道路や大きなバス停なんかで冷えた水のペットボトルを頭上に載せて売り歩く光景や、学校帰りの小学生がお遣いで買って帰る灯油のボトルをちょこんと載せていたりなんてこともよく見かける。つまり、少なくとも現状においては、この所作が人々にとって自らの身体をとおして行われる馴染み深いものだということは言えそうである。そしてその反映は、彼らの言語の中にも見て取ることができる。「頭に物を載せて運ぶ」という動詞 東アフリカの広範な地域で、国家を超えて共通語となっているのはスワヒリ語である。スワヒリ語で「頭に物を載せて運ぶ」というのは、-beba kichwani(-beba「抱える、運ぶ」、kichwa-ni「頭-で」)と二つの語に分けて表現することもできるが、同様の概念を一語の動詞語幹-(ji)twik-aで表すこともできる。つまり、「頭に物を載せる/載せて運ぶ」という所作が、語形の上では全体でひとつの語幹として表現されるわけである。そして、これはスワヒリ語に限ったことではない。スワヒリ語を含む、サハラ以南アフリカの広範な地域で話されるバントゥ諸語を歴史的に遡っていったその祖語(バントゥ祖語)の段階で、この概念に相当する語が存在していたことが推定されている。それは、「頭」*tʊ́èから派生した*tʊ́ádないし*tʊ́ɩkである(スワヒリ語の語形は後者に対応。以下表2も参照)。 表1が示すとおり、「頭」*tʊ́èを継承する形式は、バントゥ諸語を地理的に区分した16のゾーン(バントゥ諸語言語地図を参照)すべてに確認され、それから派生した *tʊ́ádは13のゾーン、*tʊ́ɩkは11のゾーンにその対応形が分布している。起源を同じくする語形がかなり広範に分布していることもさることながら、そもそも「頭に物を載せて運ぶ」という(少なくとも日本語的な発想からは複合的に見える)所作をひとつの語として表現すること自体が、バントゥ語圏全体に広く認められるというわけである。語として存在することと現実世界で存在すること 冒頭にあげたアフリカにおける「姿勢のよい闊歩」を出発点に、「頭に物を載せて運ぶ」所作の一般性、そしてその所作を示す単一の語幹の存在と、バントゥ諸語におけるそれらの広範な分布について述べてきた。ただ、実はこのことはバントゥ諸語にしか見られない特徴というわけではない。例えば、上述のバントゥ祖語同様に、オーストロネシア祖語にも‘carry on the head’に相当する語幹が再建されているようだし、身近なところでは韓国語に、「抱える/運ぶ」様態や用いる身体部位による複雑な語彙的な区分のあることが知られている(「頭で運ぶ」はita)。その意味では、「頭に物を載せて運ぶ」所作をアフリカ固有の4444444イメージとして語ることは、言語学的に言っても偏った見方ということになる。ただ一方で、例えば現代の韓国社会において「頭上運搬」が日常的な所作とは言えないように、語彙体系のなかに語形としては認められても、もはや現実の営みの中からは姿を消しつつある所作というものも存在する。現在の言語学的なフィールドワークにおいては、発話音声の録音のみならず、会話場面や発話を介するさまざまな日常の場面の映像記録を含めた、言語コミュニケーションの場の総体的な記録としての言語ドキュメンテーションの重要性が広く認識されている。「頭に物を載せて運ぶ」所作が日常的に見られる現在の東アフリカは、一方でグローバル化の波の中で急激な社会変容を経験してもいる。そのような状況の中で、ことばと現実世界の営みとの間の乖離や両者の動的関係を捉えるということも、言語ドキュメンテーション研究が果たしうる貢献の一部となろう。そして、世紀の変わり目からアフリカにお世話になっている身としては、外部世界から否応なく押し寄せる変化の波に対して、颯爽と闊歩しつつその波を乗りこなす人々の姿をこれからも見届けていきたいと思う。*tʊ́ád ‘carry on the head’*tʊ́ɩk ‘put on the head; give to carry’B.11a (Mpọngwẹ) -rwan-, -twan-E.72a (Giryama) -hwikD.62 (Rundi) -txwār-F.21 (Su̧ku̧ma) -dwīkh-E.15 (Ganda) -twār-G.42d (Unguja) -twik-M.42 (Bemba) -twāl-P.21 (Yao) -twīk-S.42 (Zulu) -thwal-R.22 (Ndonga) -tswik-表1バントゥ祖語における「頭」およびそれに関する語の推定形 (出典:Bastin, Y. et al. (2002) Bantu Lexical Reconstructions 3, URL: http://linguistics.africamuseum.be/BLR3. html)。表2現在のバントゥ諸語に見られる両形式の対応形(参照:Guthrie, M. (1970) Comparative Bantu Volume 4)。注)コード番号=言語名の対応は次のとおり:B.11a=ミェネ語ンポングウェ方言(ガボン)、D.62=ルンディ語(ブルンディ)、E.15=ガンダ語(ウガンダ)、M.42=ベンバ語(ザンビア)、S.42=ズールー語(南アフリカ)、E.72a=ギリヤマ語(ケニア)、F.21=スクマ語(タンザニア)、G.42d=スワヒリ語ウングジャ方言(タンザニア)、P.21=ヤオ語(マラウィ、モザンビーク、タンザニア)R.22=ンドンガ語(ナミビア、アンゴラ)奥の駅舎のような建物は、ダルエスサラーム市街地の専用レーンを走る高速バスシステムBRT(Bus Rapid Transit、スワヒリ語での通称は[Basi ya]Mwendo Kasi)のターミナル(2016年5月運用開始)。手前のかまぼこ型の屋根は、旧来の乗り合いバス、ダラダラ(Daladala)の停留所。都市が洗練化されていくなかで、景観だけでなく人々の習慣にも変化が生じていくのだろうか。

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